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●クレイの試合は、最後までみていましたよ。クレイがあんまり一生懸命で、絶対、八百長じゃなかったね。もう、真っ青な顔になってやってたね。両方の黒人が青くなってやったんだからね。もう限界がきていたんだね、クレイは。オレたちが思っていたより、ダメになっていたね。あれがクレイの本領だね、倒せなかったのが・・・。
●オレはあのクレイ、もの言いも知らない男だと思ってたら、とんでもない。神経質で、理屈ぽくってね。おどろいた。『話の特集』で五木寛之と対談していたけど、五木寛之なんかびっくりしたんじゃないかと思うくらい、自分勝手なことしゃべってね。そのしゃべりがとても理屈ぽかった。あの人が、「あのバカヤロー、ホラふきクレイ」なんて言われた人なんて思えないね。アイツは死んでもね、モハメッド・アリという回教徒として価値があるね。回教徒は貧しいから金持ちが回教徒になるととっても強いんだって。モハメッド・アリは引退してもね、あの、彼の生きかたっていうのは、若くて金持ちの非常に信仰に熱心な男だっていう存在価値がある。普通のボクサーだったらね、マットに沈めばそれっきり。老廃物みたいになっちゃうけど、そういう意味で、彼はショー・マンだし、なかなか頭もいいしね。ああいうボクサーは少ないね。
昨年出た『生きているのはひまつぶし 深沢七郎未発表作品集』という本からの抜粋。
ボクシングやスポーツ全般に携わっていない人の、ボクシングへの記述は目をひく。貴重な証言と思う。
深沢七郎は1914年生まれ1987年没の小説家だから、カシアス・クレイもモハメド・アリも知っていた。上の抜書きの詳細なデータはないが、たぶんインタビューか座談で日時不明ながら、1972年4月、無冠のアリが来日してマック・フォスターという選手に15R判定勝ちしたころのものだと推測する。
わたしもテレビで見たと思う。うなだれてリングをおりるアリの残像がわたしの頭にあるが、それがそのときのものかどうか定かではない。1976年にもアントニオ猪木戦のためにアリは来日しているが、あのときのものじゃないだろ。
八百長云々とあるが、それは何をさすのか。暗黒世界との取引か、ボクシング界の風潮か、ソニー・リストン戦の疑惑がくすぶっていたのか。いずれにしても当時は八百長ということが今よりもあけすけに言われたのかもしれない。
モハメド・アリと改名しても見る側(日本人だけかもしれないが)にすればカシアス・クレイはカシアス・クレイだった。しかし「蝶のように舞い蜂のようにさす」クレイではなかった。五木寛之と対談をした、その記事を載せた本は手に入るだろうか。などと思いがめぐる。
目新しいことでもないけれど、部外者からふいに語られると妙に臨場感があって、失意の中にありながら血気盛んな様子のボクサーがよみがえってくるようだ。
キンシャサの奇跡はまだ起きていない。
[2006/01/24 記]