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■酔田振男の酔いどれ前のひとりごと■

〜『酔いどれオマージュ』をなんとなく書いた男の、ちょっとだけマジメなひとりごと…〜

vol.59 中指の付け根が


 元ボクサーのSさんととりとめなく話していて、内田好之というボクサーの名前が出た。例によって古い話でわりぃね。

 若い人には馴染がないだろう。80年代のボクサーで、当時国内屈指のKOパンチャーのひとりだった。ジュニア・バンタム(今でいうスーパー・フライ)級で活躍した。日本タイトルも獲ったし、世界戦もやった。

 その内田好之とスパーリングをするたびにSさんは思ったという。

「ナックルパートの中指の付け根の、このふくらんだとこがあるでしょう。ここ、なんて言うのか分らないけど、内田さんとスパーリングすると、この中指の付け根のふくらんだとこがびしびしピンポイントで飛んでくるんですよ。もちろんグローブはつけてますが、グローブの上からでもはっきり分るんですよ」

 うーん、KOを量産するボクサーの秘密の一端をのぞいたようで印象深く、だからこうして書いているんだが、それで思い起こすのは、88年、圧倒的不利の予想で挑んだ世界タイトルマッチ。

 回を追うごとに戦況は悪くなり、敗色濃厚と思われた4R、さんざん浴び続けた左ジャブの返りぎわ、内田選手の右クロスが王者ヒルベルト・ローマンの左顔面を痛打、王者はものの見事に尻餅をついた。渡辺二郎でも畑中清詞でも倒せなかった技巧派チャンプが、日本のリングでただ一度喫したダウンだった。

 内田選手のようにパンチを当てるのがうまいボクサーは日本ではまれで、まあ、持って生まれたセンスとか運動神経ゆえと言ってしまえばそれまでだが、リードブローをもっと使って、防御練習にもっと時間をさいて、フック主体にならないようにすれば、パンチの的中率はあがるんじゃないかと考えるけれども、はたで簡単に思うほどボクシングはやさしくはないんだろう。

 実はわたしの右拳の、その中指の付け根のこぶのところには、消えない傷がある。こぶの頂点から5ミリくらいずれたところから甲にむかって1センチほど、手をひろげていれば目立たないが、ぐっと握ると傷痕はてらてら光る。

 10代後半、空手をかじっていたころに負ったもので、どこでやったものだったか。

 或るとき、若い女性が3人の男にからまれていて、見かねて止めにはいった。道場に通っていたから、強くはなくても素人相手なら屁でもない。手を出すつもりはないが、いざとなれば破門覚悟でやるかもしれないと思いながら、「よせよ」と言った。腕力のなさそうな、喧嘩の弱そうなあんちゃんが振り向いて、「なんだ、てめえ」と言った。

「いやがってるじゃないか、やめなよ」こんどは肉付きのいい、そのくせ30メートルも走れば息を切らしてしまいそうなあんちゃんが、なぜか知らないが左肩を揺すりながら、わたしのシャツの襟元をつかんで、無理に野太い声で言った。「てめえにはカンケーねえだろ、え!? なんだよ、てめえ! え!? 上等じゃねえか」

 通行人が足を止めて遠巻きになっている。わたしは襟元をつかまれたまま、立ち尽くしている女性に早く行けと目顔で言うが、女性は動かない。乱闘になったら大声をだして助けを求めるつもりらしいが切ないまなざしが嬉しい。リーダー格のあんちゃん、痩せていて足腰が弱そうなのが、首をかしげて半開きの口許をあまり動かさずに「おへーほー、おれたちに、はんかほんくあんのはよー」などと聞き取りにくいことを言ってわたしを睨む。

「つまんないことはやめようよ」

「なんだ、この野郎」

 襟元の手に力がはいったが、それをつかんで外した瞬間、太っちょが殴りかかってきた。すかさずタイをかわす。そのまま走り去りたかったが、その場には女性がいる。早く行きなと言っても女性はいやいやをして動かない。太っちょが突進してくる。しょうがない。罵声とともに繰り出された太っちょの右腕をなんなく左で払って、ハラに一発やるつもりが意外に顔が迫っていたので、ゆるめたつもりだが、右拳を太っちょの口許に見舞った。

 途端に血が吹き出て、太っちょは口許を押さえてうずくまった。かすかな痛みが走って右手を見ると、太っちょの前歯がわたしの手に刺さっていた。他の二人がひるんだすきにわたしは女性の手をとって駆け出した。

 …なーんてこと、やってみたかったような気がしないでもないが、拳の傷はたぶん空手の練習中に正拳を突きそこなってのケガの痕にすぎない。

 Sさんから聞いた中指の付け根の話から見果てぬ夢の話になった。失礼。

[2004/12/01 記]



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