![]() | トップ−通販案内−編集部より EDITORS report〜編集取材記〜 Web連載−掲示板−ど忘れ確認用! 資料編−MAIL ボクシングジムLINK−ボクシング情報LINK−その他LINK |
現在あるのはJUDOで、柔道ではない。なんて言うと、怒る人いっぱいいるんだろうけど、いいよ。だってJUDOなんだから。
技は絶対に掛けさせないぞ! この一念で外人選手は挑んでくる。腰ひいて、腕つっ張って、猫のケンカみたいにちょこまか手を動かして、投げるより倒す、どんな形でもいいから倒せばいい。攻めてるぞという審判へのアピールも怠らない。面白いのかなあ。
筋力と奇襲と誤審に手を焼き、屈して、敗れてゆく日本選手をしばしば目にした。はじめから足をとりにいって倒して、それで勝って、面白いか。胴をかかえて裏投げだあ、なんて、それで勝って、面白いか。勝てば将来が保証されて、その目的のために柔道をやるわけではあるまいに。
レスリングと相撲がごちゃまぜになった競技がJUDOで、この先ますます見た目のきたない、がつがつしたものになってゆくだろう。
柔道には空中の舞がある、異国からのそんなセリフを耳にして、当時空手を習っていた自分は選択を誤ったと思った。
有段者には手もなくひねられる程度だったけれど、内股で投げたときの快感、はるかに重い相手を体落しで横転させたときのたかぶりは、かすかにまだ残っている。体重移動と呼吸とを測って、技をかける瞬間、ふいをつかれたのか、うッ、と漏らした相手の声は、いまもって聞こえてくる。
青畳とそれを取り囲む危険地帯の赤畳、その向こうの安全地帯。それらは平面であるにもかかわらず、四次元空間だったはず。畳のへりでの攻防から、宙を舞って、みずから場外へ落ちていく構図は、宇宙空間へ飛び出していってしまうかのような、こんなレトリックを使いたくなるほどの、スリリングな光景だった。そんな場面がJUDOになってから、どんどん減ってゆく。
いまの柔道は柔道にあらず、われらはJUDOはしない! なんて脱JUDO宣言をして、世界の舞台から降りてしまえばいいのにと思ってきたし、今もそう思う。偏狭な意見とわらう人、いっぱいいるでしょう。いいよ。自分には、なんだか柔道が可哀想だもの。
そこへ井上康生の登場。山下泰裕もそうだったけど、JUDOなんて相手にしていない。でもね、彼らは「世界の」と冠されるだけあって、突然変異だから、倣えといったって、やろうと願ったって、簡単に出来るものじゃない。
それよりも、「KOKA」だの「YUKO」だの、味気ない、薄っぺらな、とってつけた、記号みたいな文句をとっぱらってほしい。いやだよ、そんなデジタル・ポイントで勝つか負けるかハラハラしなくちゃならないのは。手をくるくる回して、選手を指差して、教育的指導なんて、指し示す方向が間違っている。
すみません。柔道見るたび、いつもこんな思いになります。
[2003/10/22 記]