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■酔田振男の酔いどれ前のひとりごと■

〜『酔いどれオマージュ』をなんとなく書いた男の、ちょっとだけマジメなひとりごと…〜

vol.14 “番外篇”2003世界柔道選手権


 柔道が正式競技になったのは東京オリンピックからだった。世界に認知されたわけだ。技ありと一本しかなかった柔道が、細かな得点制になってJUDOになった。言葉が違えば中身も違う。

 現在あるのはJUDOで、柔道ではない。なんて言うと、怒る人いっぱいいるんだろうけど、いいよ。だってJUDOなんだから。

 技は絶対に掛けさせないぞ! この一念で外人選手は挑んでくる。腰ひいて、腕つっ張って、猫のケンカみたいにちょこまか手を動かして、投げるより倒す、どんな形でもいいから倒せばいい。攻めてるぞという審判へのアピールも怠らない。面白いのかなあ。

 筋力と奇襲と誤審に手を焼き、屈して、敗れてゆく日本選手をしばしば目にした。はじめから足をとりにいって倒して、それで勝って、面白いか。胴をかかえて裏投げだあ、なんて、それで勝って、面白いか。勝てば将来が保証されて、その目的のために柔道をやるわけではあるまいに。

 レスリングと相撲がごちゃまぜになった競技がJUDOで、この先ますます見た目のきたない、がつがつしたものになってゆくだろう。

 柔道には空中の舞がある、異国からのそんなセリフを耳にして、当時空手を習っていた自分は選択を誤ったと思った。

 有段者には手もなくひねられる程度だったけれど、内股で投げたときの快感、はるかに重い相手を体落しで横転させたときのたかぶりは、かすかにまだ残っている。体重移動と呼吸とを測って、技をかける瞬間、ふいをつかれたのか、うッ、と漏らした相手の声は、いまもって聞こえてくる。

 青畳とそれを取り囲む危険地帯の赤畳、その向こうの安全地帯。それらは平面であるにもかかわらず、四次元空間だったはず。畳のへりでの攻防から、宙を舞って、みずから場外へ落ちていく構図は、宇宙空間へ飛び出していってしまうかのような、こんなレトリックを使いたくなるほどの、スリリングな光景だった。そんな場面がJUDOになってから、どんどん減ってゆく。

 いまの柔道は柔道にあらず、われらはJUDOはしない! なんて脱JUDO宣言をして、世界の舞台から降りてしまえばいいのにと思ってきたし、今もそう思う。偏狭な意見とわらう人、いっぱいいるでしょう。いいよ。自分には、なんだか柔道が可哀想だもの。

 そこへ井上康生の登場。山下泰裕もそうだったけど、JUDOなんて相手にしていない。でもね、彼らは「世界の」と冠されるだけあって、突然変異だから、倣えといったって、やろうと願ったって、簡単に出来るものじゃない。

 それよりも、「KOKA」だの「YUKO」だの、味気ない、薄っぺらな、とってつけた、記号みたいな文句をとっぱらってほしい。いやだよ、そんなデジタル・ポイントで勝つか負けるかハラハラしなくちゃならないのは。手をくるくる回して、選手を指差して、教育的指導なんて、指し示す方向が間違っている。

 すみません。柔道見るたび、いつもこんな思いになります。

[2003/10/22 記]



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