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デビューから2戦、吉野弘幸にはトレーナーがいなかった。それは吉野がジムに通う時間帯は、トレーナーのいない「自主練習」時間だったからだ。 中学を卒業後、地元の運送会社で働き始めた吉野は、同時にボクシングジムを探し始めた。自宅近くには現在の宮田ジムの前身、東邦ジムがあったが「いつ覗いてもやってないみたいで…」(吉野)断念。少し足を伸ばしたところにあった国際ジムに入門したものの、早朝から夜遅くまで勤務する生活では満足に練習できない。それどころか、ジムに行く時間も取れない。会社を辞めた吉野は、地元から電車1本で通えるジムを探した。それがワタナベジムだった。「仕事はその沿線で探せばいいと思って」。 このとき就いたラーメン店での仕事(出前持ち)が、あの左フックを生んだというのはいまさら語るまでもないだろう。こうしてワタナベジムで再スタートを切った吉野だが、仕事の合間を縫って練習に通う日々であったために、いつもひとりで練習することになる。 「たまに会長がミット持ってくれたんだけど、練習にならないんだよね。ちゃんと構えないでよそ見ばっかするんだもん(笑)。バシッとパンチを受けてくれないから練習になんない。『もういいよ会長、おれバッグ打つから』って(笑)」 こうして迎えたプロデビュー戦と2戦目はKO負け。そんな折、飯田裕トレーナーが吉野の練習する時間帯にもジムに来られるようになった。吉野−飯田コンビの誕生である。ここから破竹の21連勝が始まる。コンビを組んで10戦目、マイク・タイソンがトニー・タッブスを粉砕した東京ドームこけら落とし興行でのアンダーカード。吉野は「世界」の声も出始めていた坂本孝雄(新日本木村)をKOに葬り、日本ウェルター級タイトルを獲得した。その後の活躍は、ここに書くまでもないだろう。 「朝はね、いつも飯田さんに起こしてもらってた。あのころ飯田さん、(同じ沿線の)西馬込に住んでたんだけど、朝5時くらいに家を出て青砥まで来てくれてたんだよ。起こしてもらってロードワークつき合ってくれて、それから仕事に行ってた。それで、夜はジムで練習見てくれて。だからあのころ飯田さん、(1日に)4〜5時間くらいしか寝てなかったんじゃないかな。しかもね、おれはめんどくさいと『なんか今日、調子悪いから飯田さん、帰っていいよ』ってロードワークしなかったり(笑)」 飯田は、吉野と渡辺会長のパイプ役でもあった。 「昔のワタナベジムって入口のところに伝言用のホワイトボードがあったんだよ。そのときに潤さん(佐々潤、ワタナベジムトレーナー=元東洋太平洋ミニマム級王者・中島浩、強打の現日本スーパーバンタム級1位・福原力也などを育成)といっしょにふざけてさ。おれが会長の似顔絵描いたの。おれ、似顔絵上手いよ。デフォルメ得意だから(と、知子夫人に同意を求めると「ヘタウマだけどね」という返事)。 そんな渡辺会長を吉野は「親だね」ときっぱり言う。 「おれ、さっきも言ったけど行き当たりばったりでしょ。日本チャンピオンになってからもカップラーメンばっか食ってたりしたんだよね。だけど渡辺会長は、選手の健康にすごく気を遣う人で。それでおれのこと気にして、『おまえ、こういうの使った方がいいぞ』って、20万円くらいする立派な浄水器をおれのアパートまで持ってきて取りつけてくれたりね。そういう人なんだよ。おれがサボってないか気にして『明日行くぞ』って早朝、起こしに来てくれたりさあ。おれは放蕩息子だよ。好きにやって迷惑もかけたし」 そんな奇妙な「三角関係」の渡辺会長、飯田トレーナー、吉野だが、世界戦を目前にしたキャンプで一瞬、緊張が走ったことがあったという。 「3月だったかなあ、4月かな。もう暖かくなってからだよね。ゴルフ場を走り込んだんだけど、アップダウンが激しくてキツいんだ。それで疲れきっているところにふと、自動販売機が目についたんだよ。そこで『ドクターペッパー』に目が吸い寄せられて、無性に飲みたくなったんだよね。うん、つい飲んじゃった。 最後にもうひとつ。霜山選手が吉野の写真を撮っているときに、知子夫人に聞いてみた。初めて会ったときから変わったところはありますか、と。 「15年前に知り合ったんだけど、変わらないですね。大事なところで大雑把なくせに、どうでもいいところで細かいんですよ。試合の前に何を食べようかとかね。それで何度も何度も飯田さんに『何食べたらいいかなあ』って聞くんですよ。しまいには飯田さんも『好きなもん食えばいいじゃねえかよー』って(笑)。もっと気にしなきゃいけないこと、ほかにあるぞってね(笑)」 言い終わったそのとき、吉野と目が合った。 「またおれの悪口言ってんの(笑)」と吉野。 「うん。言わないとストレスたまるからね(笑)」 軽妙な返しの左フックが吉野を襲った。 <おわり>
「吉野がいるから、いまのおれがいる」。飯田裕はかつて、インタビューでこう語っていた。そのことを吉野に言うと「おれも同じだよ」と返ってきた。
あのころ会長、いまより太ってたから、相撲取りみたいにして。『ドスコーイ!』って(笑)。そしたらあとで会長が見たんだね。で、最初は潤さんを怒ったんだけど、おれが描いたと知って次の日に『吉野、おまえもう来るな』。だからおれも『じゃあ来ない』っていって行かなかったんだよね。そしたら3日目くらいに会長が折れて『吉野、おまえ練習はどうすんだ』(渡辺会長の訛りを真似て)って。怒る方も怒る方だけど、行かないおれもおれだよね(笑)。
そんなわけで会長は、『吉野は怒らせると大変だ』ってなっちゃったんだろうねえ。何か言いたいことがあると、おれじゃなくて飯田さんに言うようになったんだよ。飯田さん、よく『吉野おまえ、また言われちゃったよ…』ってよく言ってた(笑)」
その気になって練習するよそのC級ボクサーにも稽古をつけてくれた吉野会長
渡辺会長は『炭酸は飲むな』っていう人なんだけど、おれはバレてないと思ってた。そしたら視界の端にいて、顔真っ赤にして(笑)。あとで飯田さんに愚痴られちゃったよ。『おまえなあ、またおれが怒られたじゃねえか』って。そのドクターペッパー? 全部飲んだよ。『たまにはこういうのも美味いっすね!』とか言いながら(爆笑)」
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※文中敬称略
[2005/06/14 記]