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■鈴木成章の“なんとなくマニアック”

〜文化系ボクシングマニア・ライフワークの記〜

vol.09 H's STYLE BOXING GYM 会長
    吉野弘幸 インタビュー
[前 編]



 
 完全には乾ききっていない塗装。扉を開けると、まだ新しい空間特有の匂いが鼻に飛び込んできた。真っ白な壁、真新しいリング、サンドバッグ、トレーニングマシーン。そしてラスベガスで行われた、数々のビッグマッチのポスター…。すべてが新鮮な印象を与えてくれる。それもそのはず、葛飾区青戸にある「H's STYLE BOXING GYM(以下hsbg)」は、2005年3月22日にオープンしたばかりだ。

 代表者は吉野弘幸。第22代OPBF(東洋太平洋)ウェルター級、第34代日本ウェルター級、第25代日本スーパーウェルター級チャンピオン。一撃必殺の左フックで12連続KO勝利。日本ウェルター級王座を8連続KO防衛、ちなみに14連続防衛は同級の日本記録。“怪物”クレイジー・キム(ヨネクラ=OPBF、日本スーパーウェルター級チャンピオン)をマットに沈めた、ただ1人の男。リングに上がると、キャパシティ2,000人弱の後楽園ホールは「吉野コール」一色に染まる。まぎれもなく、スター。

 だがそれは、ほんの側面に過ぎない。会場を埋める観客の約3割、600人ほどが自ら望んで吉野本人からチケットを買って足を運ぶのだ。「吉野、次の試合はいつ? チケット頼むよ」と。ボクシング界の「フォーク・ヒーロー」と呼ぶに相応しい男だ。

 一般に誰からも「いい人」と言われるヤツは、むしろ胡散臭いことの方が多い。しかしここに、ボクサー仲間から「アニキ」のように慕われ、年齢やジャンルを超えて多くの人を魅了している現実が、確かにあるのだ。

 2004年4月、10回判定負けを喫したカオクライ・カエンノラシン(タイ)戦を最後に、吉野はリングから遠ざかっている。同年8月、プロボクサーの「定年」である37歳の誕生日を迎えた。しかし、チャンピオン経験者は身体検査に通ればライセンスの更新が可能だ。にも関わらず、吉野は当面リングに上がる予定はない。まずはhsbgを軌道に乗せ、それから復帰に向けて動き始めることになるのだという。


 
 現役のプロボクサーがジムを経営する。それはつまり、マネージャー兼プロモーター兼選手ということになるわけで、吉野ほどのスターなら興行収入も勘定に入れたら、ジムを軌道に乗せるなんて簡単だろう。…というわけにはいかない。「現役選手がマネージャーやプロモーターを兼ねることはできない」という決まりごとがあるからだ。だからこのhsbgは、日本プロボクシング協会に加盟しない独立系ジムとして活動している。プロ希望者には、「その選手に合ったジムを紹介する」予定だという。

 独立系ジムというと、「どうせボクササイズだろ」と軽く見られがちなきらいがあるが、そこはプロ格闘家や旧知のプロボクサーも練習に来るhsbgのこと、会員たちにも吉野の気概は伝わるはずだ。実際、坂本博之(角海老宝石=元WBC世界ライト級1位、元OPBF&日本ライト級チャンピオン)も練習に来たという。

 それにしても、後進の育成ならばなぜトレーナーではなく、手間も経費もかかるジム会長という道を選択したのか。

「ジムって、それぞれの会長が指導方針を持っているからね。トレーナーはその方針に沿って選手を教えることになるんだよ。そういうのじゃなくて、自分の方針に沿って教えたかったんだよね。そのためには自分の方針に共感してくれる人を、トレーナーに迎えてやっていくのがいいと思ったんだ」

 現在、下は6歳から上は66歳まで40人ほどが汗を流すhsbg。「H」はもちろん、弘幸のHだ。また、Humanity、Hearty、Hardy、Healthy、そしてHappyの頭文字でもある。ボクシングを通じて吉野が会員たちに伝えたいものが、ジムの名前には込められている。

 我々が取材している間にも、様々な見学希望者がジムを訪れた。高校を卒業したばかりだという、あどけない顔立ちの少年は「本物の吉野さんだ!」と顔を紅潮させ、入門希望だということを伝えていた。「どこ住んでんの?」「職場も近いの?」。まるで「近所の兄ちゃん」のように接する吉野の姿が、そこにはあった。

「いろんな人が来てくれるよね。なかには学校で友達の輪に入れないで悩んでる子とか、職場での人間関係で頭を痛めているサラリーマンの人もいるでしょ。そういう人が、ここに来て、ボクシングに接することで優しさとか、明るさを取り戻してくれるといいよね。そして、周りの人に好かれるようになってくれたら嬉しい。
 ボクサーとして強くなりたいっていうだけじゃなくて、目的はなんだっていいんだよ。それは一人ひとり違うものだから。練習の後のビールのためだっていい。おれたちは、その一つひとつの目的につき合うからね。どんな人に対してもドアは開けている。心を開いて、自分に正直に、会員さんたちとも向き合って行きたいと思ってる。普通、ジムって入る人がいればその分だけ辞めていく人がいるもんだけど、みんなが辞めないで続けてくれる空間にしたいよね」


 
 近年、青少年の心の荒廃が叫ばれて久しい。吉野もそんな現状に、心を痛めているひとりだ。

「最近、街で若い子たち見てて思うんだよね。『この子たちはこの先、どうなっていっちゃうんだろう』って。だから、そういう子たちにも何かできればって思うよ。そうそう、今日もこれから小学生の男の子が来るんだよ。小さな子どもって吸収の早い子もいれば、すぐ飽きて『イヤイヤ』ってなる子もいるよね。そういう子でも根気強くいっしょに練習していけば、だんだん楽しくできるようになっていくと思うんだよね。子供だからって見下ろすんじゃなくて、いっしょの目線でやっていけばきっと気持ちは通じるはずだよ」

 ジムがオープンして2カ月、実際に教えてみた実感はどのようなものだろうか。

「左フック教えるのが大変で(笑)。ミット構えるのもひと苦労だよ。おれは飯田さん(飯田裕=ワタナベジムトレーナー〜吉野以外にも加山利治を日本ウェルター級チャンピオンへと導いた。K-1の魔裟斗のコーチとしても知られる)に構えてもらってたじゃん? でも、飯田さんが指示した通りに打つんじゃなくて好き勝手にバンバン打ってたからねえ(笑)。大変だったと思うよ。でもさ、選手とトレーナーってそういう『あうんの呼吸』みたいなもんがなくっちゃね。
 礼人(赤塚礼人=hsbgチーフトレーナー〜元日本スーパーバンタム級3位)もいまは苦労しているよー。でもさ、会員さんたちも初心者が多いからね。まずはワン・ツーから始まるでしょ。それといっしょ。おれたちもワン・ツーから始まって…。みんなでいっしょに育っていけるといいよね」


どっかで見たことある練習生(?)を指導する吉野会長。真ん中でピースしてる少年、キミも強くなれよ!
 チーフトレーナーの赤塚は現役時代、ワタナベジムに所属していた。吉野のワタナベジム時代と赤塚のプロキャリアは、ほぼ重なっている。しかし、当時の印象はそれほど強くないという。

「おれの試合の前座に出たこともないしね。世界戦(1993年6月23日、ファン・マルチン・コッジ=アルゼンチン=に挑戦)前のキャンプでいっしょになったくらいかな。アイツはすごくシャイなんだよね。おれはそういうヤツが好きなんだけど。
 去年の暮れに丈矢(河合丈矢=元日本スーパーウェルター級チャンピオン)の引退式が大森のゴールドジムであったんだけど、丈矢の“デビュー戦”の相手っておれなんだよね。横浜文体(横浜文化体育館)かどっかで、河合ジムの御曹司がプロ入りするってことでエキシビジョンの相手をしたの。だから引退式のスパーもおれが相手だ、って。そのときに近くに住んでた礼人に手伝ってもらったのね。
 もうジムをやることは決めてたんだけど、何せおれ、行き当たりばったりだからさ(笑)。トレーナー決めてなかったんだよ。で、礼人に『トレーナーやんない? いまならもれなくチーフトレーナーだよ』って声かけて(笑)、何日かして『やります!』って返事もらって。
 トレーナー経験はないけど、すごくやる気あるし、だから大丈夫だよ。人って、経験なくてもやる気があれば伸びていくもんだから」

* * * * *

 まだ始まったばかり。代表の吉野も、トレーナーの赤塚も、そして汗を流す会員たちもビギナーだ。だが、hsbgは全員が、それぞれの目標に向かって伸びていく空間としてスタートを切った。

 ところで、ボクサー吉野弘幸にとっての会長、トレーナーとはどういう存在なのだろうか? 次回[後 編]は、恩師・渡辺均ワタナベジム会長と飯田裕トレーナーについて、語ってもらう。

 ※文中敬称略
[2005/06/10 記]



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