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■鈴木成章の“なんとなくマニアック”

〜文化系ボクシングマニア・ライフワークの記〜

vol.05 日本Sライト級チャンピオン・木村登勇(横浜光)インタビュー
[その2・本編 〜Part 1〜]

その1

 trickster :1.詐欺師、ぺてん師。2.トリックスター ≪原始民族の神話などに登場する、詐術やいたずらで秩序を乱す神話的形象≫(研究社『新英和・和英中辞典』より)

 練習を見て、驚いた。パンチの切れ、速射砲のようなコンビネーション…、そんなことではない。日本チャンピオン(世界ランクはWBC11位)なのだから。その、金昌龍トレーナーを相手にしたミット打ちは、あまりにも正統派。そこには試合で見せる「業師」の顔はなかった。


 
 木村登勇はリングのトリックスターなのか。

 それを探りに行ったのに練習で見たものは「日本一強い男」の姿であり、向かい合って話した一時間から受けた印象は「人当たりのいい、笑みを絶やさぬ好青年」。

 あれ? そんなはずでは…。それでは話が終わってしまうし、書くこともなくなって、この連載も打ち切りにされてしまう。とりあえず、苦し紛れに彼の生い立ちを追っていこう。プロボクサー木村登勇が、どのようにして生まれたのか。

 1978(昭和53)年3月15日生まれ、青森県三沢市出身の27歳。私のような30代半ばと違い、子供時代には既にファミコンをはじめとする電子玩具が当たり前のようにある世代だ。しかし、彼はそんなおもちゃには目もくれない子供だったようだ。

「ゲームとか、そういうのには興味なかったですね。やんちゃでした。ガキ大将タイプではなくて、いわゆるいたずらっ子というか…。公園の木に登って枝を折ったり、よその家の庭に忍び込んだり。あ、学校の池で鯉釣りしたことあります。池の鯉を見て『どうしたら釣れるかな』と思って(笑)。当然、道具なんかないからそこから始まるんだけど。ミミズはいたんですよ。だからエサはOK。木の枝と糸、それから釣り針替わりの針金を拾ってきて、それでやったんですよ。いやあ、焦りました。まさか釣れるとは思わなかったんで(笑)。釣れたことよりも先生に見つかっちゃったらどうしようって、そっちの方が心配になっちゃって」

 遊びを通して小さいなりに「自分で考える」ということを学んでいく。本来、子供とはそういうものだ。あまりに子供らしい幼少期に少し拍子抜けした。そんな、部屋に閉じこもっているより外で体を動かす方が好きな少年は、当然のようにスポーツに目覚めることになる。そして、ある日テレビで見た世界タイトルマッチに衝撃を受け、「ぼくもいつか」とボクサーの道を志した・・・わけではなかった。

「ボクシング、興味なかったんですよ。たまにテレビで世界戦やってるのを見て『うわー、すごいなー』と思うことはあったけど、でも、それだけですね」

「お母さんっ子」だった彼は、母親がやっていたママさん卓球について行くうちに、卓球のとりこになるのだ。そして、中学に入学。卓球部に入部して本格的に競技にのめり込んでいく・・・わけでもなかったのだ。

「部活は工芸部。角材とかベニヤ使ってカヌーを2艘、作りました。できあがるとみんなでキャンプに行くんですけど、これがなかなか大変で…。先生がね、『食料は米、味噌、醤油しか持ってきてはいかん』って言うんですよ。仕方がないから湖の、胸まで水が浸かるようなとこまで行って魚獲ってきましたよ(笑)」

 卓球に始まり、工芸部、カヌー、湖でのキャンプ・・・。話は、どんどんボクシングから遠ざかっていくのだった。

 →続く

[2005/05/23 記]

協力;横浜光ボクシングジム
special thanks;Yokohama Hikari Boxing Gym



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