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WBA世界ミドル級タイトルマッチの前日、マジソン・スクエア・ガーデンの対面に位置するホテル・ペンシルバニアの玄関前では、60人余りのプエルトリカンによる乱痴気騒ぎが深夜まで続いていた。ほとんどがプエルトリコ国旗が描かれたシャツを着ており、酒気を帯びた様子だ。彼らは母国の英雄の勝利を確信し、一足早く宴を催しているのだった。 約23時間後、試合開始のゴングが鳴らされる頃になると、トランペットやドラムの音とともに、さらにプエルトリカンの熱気はヒートアップした。 統制のとれた合唱がアリーナに木霊(こだま)する。 主催者側から発表された、観衆1万8235人の8割以上はプエルトリカンだったのではないか。目に飛び込んでくるプエルトリコ国旗の数は、多過ぎて数えきれなかった。 そんな雰囲気の中で、フェリックス・“TITO”・トリニダードは、ウィリアム・ジョッピーを3度キャンバスに這わせ、3階級制覇を達成した。トリニダードが勝利に近づく度に観客たちは狂喜乱舞し、「TITO! TITO!」と耳を劈(つんざ)く大歓声が会場に響く。 「アメリカ合衆国自由連合州」という聞き慣れない立場に置かれるプエルトリコは、1493年にコロンブスによって発見され、スペイン領となったカリブ海の小島である。それからおよそ400年後(1898年)に始まった米西戦争で米国に占領され、同年12月の講和条約をもって、アメリカ領となった。 以来、プエルトリカンには、合衆国の市民権こそ与えられているものの、大統領に投じる選挙権は持たされていない。 また最近は、ヴィエケス島の「NAVY OUT」キャンペーンが深刻な社会問題となっており、この運動に参加したプエルトリカンの600人近くが収監される事態にまで発展していた。 アメリカ海軍が唯一実弾演習を行っている場所が、プエルトリコのヴィエケス島である。島民の大多数が漁業を生業にしているこのヴィエケスの海で、海軍は60年以上も劣化ウラン弾をまき散らしてきた。 事故から5カ月後、トリニダードは、彼のキャリアで最も注目されたオスカー・デラホーヤ戦で、『Paz Para Vieques(ヴィエケス島に平和を)!』と書かれたプラカードをセコンドに持たせてリングに登場した。そして今回、ジョッピー戦の16日前には、母国の著名人10名とともにニューヨークタイムズ紙上で、ヴィエケス島の平和を呼び掛ける意見広告を出していた。 ヒスパニック・ラジオ局のプエルトリカン記者によれば、その広告に集った11名の中でも、トリニダードの人気は図抜けており、歌手のリッキー・マーティンやマーク・アンソニー、MLBのイヴァン・ロドリゲス(レンジャーズ)、ロベルト・アロマー(インディアンズ)など及びもしないという。 マジソン・スクエア・ガーデンでトリニダードに向けられた視線は、苦しい日常に耐えるプエルトリカンの、微かな希望とやすらぎだったに違いない。トリニダードは、スーパーチャンプであると同時に、虐げられた民族、プエルトリカンの星なのだ。その姿は、60年代から70年代にかけて人種差別撤廃と徴兵拒否を叫び、蔑(さげす)まれた黒い肌が実はどれだけ美しいかを証明したモハメド・アリに通じるものがある。 次戦、9月15日の統一ミドル級戦で、彼はさらにその存在を輝かせることだろう。 〜『Number』524号より
「ボリクゥア パラテ (プエルトリカンよ、立ち上がれ)! ビバ プエルトリコ!!」
「TITO! TITO!」MSGの8割以上を埋めたプエルトリカンたちは、母国の英雄を熱狂的に応援した
99年4月には、コソボ空爆訓練の一環として投下された爆弾が的を外れ、島民の生命を奪う事故が起きた。この直後からプエルトリカンは、島からの海軍撤退、並びに爆弾演習の中止を連邦政府に訴えてきたが、合衆国はおざなりな対応しか見せようとしない。“マイノリティー”であるプエリトリカンに人権などない、といった態度なのだ。
抜群の人気を誇る“マイノリティー”の希望の星、フェリックス・トリニダード。ジョッピーを圧倒し、3階級目、ミドル級タイトルをも手にした
<当時を振り返って・・・>
プエルトリコのホームと化したマジソン・スクエア・ガーデン。その熱狂振りが今も瞼に焼き付いている。
この数カ月後、トリニダードを取材するため、私はプエルトリコに飛んでいる。自由連合州の哀しみを背負って闘うTITOと言葉を交わしたくなったからだ。
TITOはプエルトリカンの希望の星であることを、ジョッピー戦のアリーナが語っていた。
[2004.5.11 記]