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2月下旬、ボクシングファンにとって、ショッキングなニュースが流れた。 「WBC世界ウェルター級タイトルマッチ。チャンピオン、オスカー・デラホーヤvs同級1位、パトリック・シャルパンティエの試合は、再び延期されることになった。当初、2月28日に予定されていたこの試合は、デラホーヤが練習中に左手首を捻挫したため、3月14日に延期された。が、デラホーヤの怪我は予想以上に重く、軟骨が剥離骨折していることが判明。(中略)今後のスケジュールは、未定である……(AP通信)」 現在のボクシング界で最も人気のある男、オスカー・デラホーヤは、98年になってから、まだ、リングに上がれていない。デビュー以来無傷の27連勝を飾り、スーパースターの座を_んだデラホーヤだが、最近の試合(97年12月6日)といい、今回の怪我といい、わずかながらペースダウンの感は否めない。 やはり、デラホーヤにはあのトレーナーが必要なのではないか。彼がセコンドに付いていた2試合の動きは良かった。間違いなく、彼の指導はデラホーヤを大きく成長させていた。もし、彼が今回のキャンプに同行していたなら、捻挫と剥離骨折を間違えるようなミスは犯していなかっただろう。アクシデントを避けることもできたかもしれない。 彼、エマニュエル・スチュワード(53)とは、それほど優秀なトレーナーである。
スチュワードはこれまで、何度も私を自宅に招き、インタビューを受けてくれた。彼は名伯楽であるだけでなく、ボクシングについて語るのが好きだった。時には、日本では決して手に入らないであろう古いビデオを見せながら、時には自らファイティングポーズを取って説明を加えながら、一度話し始めると、しばらく言葉は途切れなかった。
「1944年7月7日、ウエストバージニアで生まれました。8歳の時、炭鉱夫だった父がクリスマスにグローブをプレゼントしてくれたんです。それがボクシングとの出会いでした。すぐに夢中になりましたね」
大きな瞳を動かしながら、彼は自らのボクシング人生を楽しそうに話した。その姿は実際の年齢より、10歳は若く見える。
「その後、11歳で両親が離婚し、母親とデトロイトに移ったんです。それで、一時ボクシングから離れました。12歳からしばらくは、ストリートでギャングファイトのようなことばかりしていました。父親のこと……、寂しさが原因だったんだと思います」
会う度に人の良さを感じさせる、紳士であるスチュワードにも、そんな時期があったようだ。
「ある日ポリスに捕まって『これ以上問題を起こしたら、刑務所に叩き込むからよく覚えておけ』と言われて、またジムに通い出したんです。ボクシングによって更生しましたね。そして、ジュニアチャンピオンシップなどに参加するようになり、18歳でナショナルゴールデングローブ、バンタム級のチャンピオンになったんです」
リビングルームの壁には、当時の若きスチュワードの写真が額に入れて飾られている。
「でも、いいマネージャーが見つからなかったので、プロにはなりませんでした。自慢ではありませんが、私は63年のゴールデングローブチャンプの中で、一番優秀な選手と言われていただけに、ちょっと残念でしたね。チャンピオンになる前から、若い選手にアドバイスを求められたりしていたんですが、69年から本格的にトレーナーとなり、教える側に回りました。実の弟もコーチしたんですよ」
全米チャンピオンであっても、アマチュアでは食えない。また、トレーナーといっても、世界王者を抱えるレベルでなければ稼げない。スチュワードも下積み時代は、電気技師として生活費を得た。
「64年から72年までは、昼間は電気技師、夜はボクシングという生活でした。72年から77年まではエンジニアをやりました。おかげさまで、ハーンズらの活躍により、78年からトレーナーだけで生活できるようになりました」
トーマス・“ヒットマン”・ハーンズ。80年代のボクシングを語る時、必ず挙げられる名前である。「神話」を築いたスーパー・チャンピオンといっていい。スチュワードの指導の下、ハーンズが腰に巻いたベルトを順にリストアップしてみよう。
全米ウェルター、WBA世界ウェルター、WBC世界ジュニアミドル、北米ミドル、WBC世界ライトヘビー、WBC世界ミドル、北米スーパーミドル、WBO世界スーパーミドル、WBA世界ライトヘビー、北米クルーザー。
この記録だけで、いかなる王者だったのかお分かりいただけるだろう。スチュワードのトレーナーとしての評価は、ハーンズの活躍によって、不動のものとなった。
「トミー・ハーンズがジムにやってきたのは、彼が10歳の時だったと記憶しています。もっとも、当時のクロンクジム(スチュワードが育ち、現在はオーナーを務める)にはいい選手がたくさんいましたから、全然目立たなかったんです。痩せっぽちで、ほとんどのパートナーに打ちのめされていました。それでも、決して休まずに練習にやって来ましたね。4年が過ぎた頃、少し力がついてきたかな、と感じましたが後に世界王者になるなんて、思いもしませんでした。彼の成功は、才能ではなく努力によってのものです。ハーンズは、自らの『決意』によって人生を築いたといえるでしょう」
ハーンズがセンスに恵まれた選手でない、というのは意外な話だった。だが、その彼をスーパーチャンピオンに導いたのは、他ならぬスチュワードの指導である。
「ボクシングを教える上で一番重要なのは、きちんとしたバランスを身につけさせることだと私は思っています。ボクシングはバランスによって決まる、と言っていいでしょう。でも、その点を指摘するトレーナーを見かけることはほとんどありません」
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| ハーンズを筆頭に、多くのトップボクサーを育成している名伯楽、エマニュエル・スチュワード。“ゴールデンボーイ”とは長い関係を築くことはなかった…。 |
そして、97年4月にパーネル・ウィティカーを破り、4階級制覇を成し遂げた、オスカー・デラホーヤもスチュワードの教えを必要とした。新たに記録を更新したデラホーヤだったが、試合自体の見栄えは悪く、ウィティカーの勝利を唱える声も多かった。そんな世論を吹き飛ばすために、その後の試合では内容が問われていた。スチュワードに初めて取材したのは、彼がデラホーヤのトレーナーとなって、2戦目を迎えようとしている時期だった。コンビを組んだ初戦は明らかに格下のチャレンジャーが相手だったが、2回KO勝ちを収め、再び勢いを取り戻そうとしていた。
「デラホーヤはまだまだ発展途上の選手で、ディフェンスに問題がありますね。でも、伸びる可能性を無限に感じます。現時点で多くを身につけるのは難しいので、次の試合が終わったら、弱点をカバーする作業に取りかかるつもりです」
彼は長期的なスケジュールで、デラホーヤをスケールアップさせようと考えていた。
「ハーンズの時もそうでしたが、トレーニングだけでなく、研究にも時間を費やしたいですね。参考になるファイトのビデオを見せて、知識を増やしてあげたい」
この直後に行われた試合(9月13日、ヘクター・カマチョ戦)で、デラホーヤはかつてないほどの強さを見せた。タフで知られるカマチョからダウンを奪い、大差の判定勝ちを収めたのだ。
その後、スチュワードが語っていた「ディフェンスを磨く」トレーニングを見ようと再び彼らに会いに行ったその日、思いがけないニュースを耳にすることになる。デラホーヤは12月6日の試合まで、あと3週間余りだというキャンプの真っ最中に、スチュワードを解雇したのである。
この日、デラホーヤのスパーリング8ラウンド見た後、私は彼に「本当に、もうスチュワードの教えは必要ないのか?」とストレートに尋ねた。
「別にエマニュエルの教え方が悪いとか、そういうことではありません。今でも尊敬しています。でも彼はナンバーワンのトレーナーだから、ボクだけにかかりきりになるわけにもいかないでしょう。レノックス・ルイス(WBC世界ヘビー級チャンピオン)をはじめ、多くの選手を抱えているんですから」
デラホーヤは淡々とそう説明したが、スパーリングの動きは、間違いなく以前の方が鋭かった。その点を指摘すると、「今、風邪を引いているから……」と言葉を濁した。
この時世界王者として近所でキャンプを張っていたテリー・ノリスやヴィンセント・フィリップスをはじめ、関係者は一様に「デラホーヤはビッグ・ミステイクをしたね」と語った。
「いや、オスカーのミスというより、彼の父親の考えらしいです。彼らはメキシコの血を守りたかったようですね」
スチュワードは冷静に受け止めていた。
メキシコ移民であるデラホーヤの父は、息子の周囲全てをメキシコの血で固めることを希望したのだった。デラホーヤもまた、素直に父の意見に従ったのである。
「まあいろいろな考えがあるでしょう。一緒に汗を流せて楽しかったです。ただ、心残りなのは、近いうちにオスカーはあなたたちの国、日本での試合が予定されているでしょう。私は過去に2度、アマチュアの大会で選手を連れて行っているんですが、素晴らしい国だと感じました。日本がとても好きなんです。ハーンズにも使わせていたミズノのシューズも購入したいし、できれば、また訪ねてみたかったですね」
そして、しみじみと続けた。
「ボクシングのおかげで世界中を歩き、多くの人々や文化と出会えました。もし電気技師のままだったら、デトロイトしか知らない人間で終わっていたでしょう。私の人生を切り開いてくれたのは、ボクシングなんですよ」
12月、スチュワードと袂を分かったデラホーヤは、空振りを繰り返しながら、冴えないファイトで勝利をつかんだ。その後、怪我によるブランクを作っている。
そんなデラホーヤに対して、コーナーからスチュワードの指示を受けるレノックス・ルイスは、3月28日、逆転KOでタイトル防衛に成功した。立ち上がり動きの悪かったルイスに適格な指示を与え、勝利をもたらしたスチュワードは、改めてトレーナーとしての能力を証明してみせた。
私には、デラホーヤの判断が正しかったとはどうしても思えない。彼は次のリングで、一体どんな姿を見せるのだろうか。
〜『PENTHOUSE』1998年6月号より
<当時を振り返って・・・>
デラホーヤはこれ以降も納得のいかない試合をする度に、トレーナーを変えた。特にトリニダード戦の敗北は、ギル・クランシーの指示に誤りがあったと責任を押し付けている。
現在のチーフセコンドはフロイド・メイウェザー・シニア。モズレー第2戦の後、何も聞こえてこないが、関係は上手くいっているのだろうか。
[2003.12.15 記]