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■在米ライター林壮一の米国取材記■

〜筆者&編集部特選! 再録ノンフィクション“REY TIME”〜

vol.9 負け犬の挑戦・アキワンデ

 1998年9月19日、WBA/IBF世界ヘビー級チャンピオン、イベンダー・ホリフィールドは、12回判定勝ちでボーン・ビーンを下し、タイトル防衛に成功した。

 だが、その動きにかつての冴えは全くなく、彼の衰えは、誰の目にも明らかだった。世界ヘビー級のベルトを2本も巻いているとはいえ、ホリフィールドに残された時間は、ほんの僅かである。

 今のホリフィールドなら、誰が闘ってもベルトを奪うチャンスは十二分にあるだろう。それは、次の対戦相手として候補に挙げられる、“クリンチ男”ヘンリー・アキワンデでも同じことだ。

 私の知る限り、このアキワンデという選手は、ボクサーにとって最も肝心な闘争心を持ち合わせない、最低のファイターである。これまで、彼の試合を3度見ているが、そのすべてが目を覆いたくなるような内容のものばかりだった。

 1度目は96年11月9日、『タイソンvsホリフィールド1』の前座に出場したWBO世界ヘビー級タイトルマッチ。チャンピオンのアキワンデは全く見せ場を作れないまま、10回負傷判定勝ちで同タイトル初防衛に成功した。同じヘビー級のタイトルマッチでも、当時のタイソン、ホリフィールドとは比較にならない、お粗末なファイトだった。

 2度目の防衛戦を判定でクリアした後、アキワンデはベルトを返上し、より価値のあるWBCタイトルに照準を合わせた。そして、97年7月12日、王者レノックス・ルイスに挑戦。彼にとっては、ボクサー生活最大のチャンスであったにもかかわらず、ルイスの強打に怯え、終始クリンチを繰り返すのみで、決して打ち合おうとはしなかった。その結果、第5ラウンドに失格負けで敗者となるのである。この時、あるボクシング誌に原稿を依頼されていた私は、こう記したものだ。

「チャレンジャーは、試合開始からとにかくビビりまくっている。パンチを出すよりも、いかにクリンチで相手に抱き付くか、ということだけを考えてファイトしていたように見えた。(中略)この挑戦者は、一体何をしにリングに上がったのだろうか? トレーニング中もこうしてスパーリングパートナーやサンドバッグに抱き付いているのだろうか?」

 これほど情けないファイターにお目にかかることも珍しい、アキワンデに関しては、そんな印象を持っているに過ぎなかった。

 それから、5ヵ月後、アキワンデはホリフィールドの持つWBAタイトルの挑戦者決定戦として、オーリン・ノリスという元クルーザー級世界王者と対戦した。アキワンデは、身長2メートル1センチと、ヘビー級の中でも極めて体格に恵まれた選手である。そんな彼が、一回級下から転向して来たボクサーを相手にするのなら、リーチを活かせば簡単にペースを握れたに違いない。しかし、ここでも少し攻撃してはクリンチの繰り返しで、つまらない判定勝ちしか収められなかった。

 私は彼の試合を見るたびに、失望とフラストレーションを溜め込んでいった。

 ノリスに勝ったことで挑戦権を得たアキワンデは、98年6月6日に、WBA/IBF世界ヘビー級タイトルマッチとして、イベンダー・ホリフィールドにチャレンジすることが決定した。だが、試合前日にB型肝炎と診断され、タイトルマッチは急遽中止となってしまう。

 この知らせを聞いた時も私は、「これでアキワンデも終わりだろう。いつもいつも客の期待を裏切るだけで、あんな選手はプロとは呼べない。とっとと引退したほうがボクシング界のためにはいい」くらいの気持ちにしかなれなかった。

 ホリフィールド戦が中止となって暫くが過ぎた頃、アキワンデをクロンクジムで目にした。私は思わず、インタビューを申し込んでいた。引退を機に、ボクシングに向いていなかった彼自身を振り返ってもらおうと思ったのだ。

 だが、私の予想を覆し、アキワンデは試合予定のないまま、復活を信じてトレーニングを続けていた。

「体は何ともないんです。早く、ホリフィールドと闘いたい。自信はあります。彼は非常に精神力の強い選手ですから、簡単にベルトを渡してはくれないでしょう。でも、必ず勝ってみせます」

『勝つ』という言葉が強い口調で発せられたのに、少々意外な感じがした。しかも、ホリフィールド戦が再びセットされると信じ込んでいる彼に、驚かずにはいられなかった。そこで私は「クリンチがあなたの一つのスタイルのように見受けられるが?」と、皮肉たっぷりに尋ねた。

「はい。とても反省しています。もう、あんなファイトはしないように、チャンスをきちんとモノにできるようにと努力しているところです」

 話をしてみると、思いのほか実直な人物であるようだ。こちらの問いに丁寧に応対する。あるいは、人が良過ぎてボクシングというハードな競技に向いていないのかもしれない。

「1965年にロンドンで生まれました。妹が二人、弟が一人います。4歳のとき、親の祖国であるナイジェリアに移住しました。幼いころはサッカーに熱中していましたね。ボクシングは、何となく興味があって83年に始めたんです。17歳で再びイングランドに戻り、そこでアマチュア選手となりました」

 86、87年と英国ヘビー級2位にランクされ、88年にはソウルオリンピック出場を果たす。しかし、1回戦で敗退。翌年、プロに転向する。

「ボクシングを職業としたのは、『一対一の闘い』という点に魅力を感じたからです。勝敗の責任はすべて自分にあるなんて、最高じゃないですか」

 デビューから8年間の彼なら、その言葉にも信憑性がある。31戦30勝1分けの戦績で、WBO世界ヘビー級チャンピオンとなったのだ。この30勝の中には、元IBF世界王者トニー・タッカーから奪った勝利も含まれているから、アキワンデが間違いなくヘビー級のトップ選手だったことが分かる。

「WBOタイトルを獲得した時は、これまでで最高の幸せを感じました。あの試合は本当に厳しいものでした。すごく暑い日で、相手もタフでした。自分の気持ちが何回もくじけそうになりましたよ。それに耐え、ベルトを手にできたんです」


闘争心のない“クリンチ男”、ヘンリー・アキワンデ。筆者との「約束」は、いまだ果たされていない…。
 このころの彼は“クリンチ男”ではなかったのだろうか。当時を知らない私はストレートに質問した。

「クリンチ男ですか……。ルイス戦は、正直言って、どうしていいのか分からなくなってしまいました。『怯えていた』と感じる人が沢山いても、言い訳はできないですね。でも、今考えればキャリアが足りなかったのが敗因だと思います。初のメジャータイトルの試合でしたから、プレッシャーもありましたし、とにかく失敗でした」

──オーリン・ノリス戦でもクリンチが目立っていましたが?

「そうですね。相手が接近して来るとどうも……。ああやって、しのぐのが一番やりやすい気がしていました」

 このところ、WBA/IBF王者のイベンダー・ホリフィールドは、自分にとってリスクの少ない相手を選ぶ傾向にある。トップコンテンダーといってもアキワンデは“カモ”として選ばれたに過ぎなかった。

 また、この試合が発表されるまで、彼はホリフィールドと同じトレーナー、ドン・ターナーの教えを受けていたのだが、両者の対戦が発表されるとターナーはホリフィールドを選択し、アキワンデを見捨てる。トレーナーを失ったアキワンデは、ルイスのコーナーに付くエマニュエル・スチュワードに救いを求めたのだった。

「流石に『ベストトレーナー』と呼ばれているだけあって、エマニュエルのコーチは素晴しいです。私がどういう動きをすればいいか、的確に指示してくれます。やはり、クリンチで相手の攻撃を封じるのではなく、体格的な特徴を生かし、ジャブを有効に使った試合運びをしていくことが、これからの課題だと感じています」

 しかし、世界最高と称される指導者の教えを受けたからといって、短期間でアキワンデのスタイルが変わるとは思えない。また、人間とはそんな簡単に生まれ変わるものでもないだろう。が、いずれにしても、彼は自分の過ちを認め、何とかボクサーとして成長したいと努力を続けていることは、事実だった。スチュワードのアドバイス一つ一つに熱心に耳を傾け、それを実行している姿に好感が持てた。

「最近、思うんです。ボクサーにとって最も大事なのはいいトレーナーに付いて、いいトレーニングをすることだと。今までの練習法は、決して良くなかった。これからはエマニュエルと共に、新しいヘンリー・アキワンデを築いていきたいです」

 そう語るアキワンデの目は、言葉以上のものを訴えかけているようだった。彼は本気で、自己を改造することに取り組んでいた。もう、これまでのオレじゃない。今までとは違ったファイターとして、闘うんだ。そんな決意を感じさせた。

「体が正常なことを証明して、一日も早くリングに上がりたい。WBAの指名挑戦権は私が持っているんですから。ホリフィールドを倒して、ルイス戦の汚名を晴らしたいです。エマニュエルはホリフィールドを教えたこともあるでしょう。きっと、彼の弱点を把握していると思います。だから、必ずチャンスはあると信じています。そして、あと4年くらいボクシングビジネスで稼げたら、と思いますね」

 エマニュエル・スチュワードはアキワンデをこのように評した。

「確かにルイス戦はひどい試合でしたね。ルイス側の人間としたら、怖さを微塵も感じさせない、楽な挑戦者でした。でも、負けを受けとめ、きちんと反省し、弱点を補う作業を重ねています。同じミスは繰り返さないでしょう。ホリフィールドも衰えてきているし、アキワンデはチャンスだと思いますよ」

“クリンチ男”“臆病者”“B型肝炎で引退間近の選手”、また日本のファンからは“ウドの大木”などと呼ばれてきたアキワンデ。今度同じ失敗をしたら、もう彼は二度と浮かび上がれないだろう。だからこそ、過去の自分を捨て、変わろうとしている。

 ひょっとすると、本人が感じている以上に、病は深刻なのかもしれない。このまま、引退という可能性も無きにしもあらずである。それでもアキワンデは、〈復活の時〉を信じて、懸命に汗を流している。

「約束します。新たな自分でチャンピオンになります」

 彼の言葉には、悲壮感が含まれているようにも感じた。

 変われるか、負け犬のままか。結果はともかく、その苦しい作業に挑戦する男のファイトを見届けようと思った。

〜『PENTHOUSE』1998年12月号より

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<当時を振り返って・・・>

 2001年11月17日、ラスベガス、マンダレイベイ・イベントセンター。

 レノックス・ルイスvsハシーム・ラクマン戦の前座で久しぶりにアキワンデを目にした。相変わらず腰が引け、クリンチばかり繰り返していた。第10ラウンド、クリンチに行こうとした際、オリバー・マコールの右ショートを顎に喰らってKO負け。やはり、見苦しい男だった。

「人間というものは、そう簡単に変われはしないのだ」と思い知らされた。

[2003.11.17 記]


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