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■在米ライター林壮一の米国取材記■

〜筆者&編集部特選! 再録ノンフィクション“REY TIME”〜

vol.7 ヒーローになれなかったチャンプ ラリー・ホームズ

 ニューヨークからハイウェイを西へ向かっていた。目的地は、ペンシルベニア州イーストン。140キロペースで飛ばしているのだが、標識にイーストンなどという文字はなく、さっきから、何度も道を間違えてしまう。かつては工業都市とも呼ばれた土地だが、今は寂れた田舎町でしかない。そしてここは、「悲運の男」が育ち、現在も生活している場所である。

 世界ヘビー級王座を20度も防衛しながら、彼が人気を得ることはなかった。イーストンとはまさに、彼の人生を象徴しているように思えた。

 そんな場所に、男は自らの功績を誇示するように、豪華なオフィスを構えていた。住所には、「ラリー・ホームズ・ドライブ」と自分の名が付けられている。

 秘書に案内され、彼の部屋に入ると、元世界ヘビー級チャンピオンはコンピュータマシンと格闘中だった。どうやら、Eメールの設定がうまくできないらしい。

「ああ、ようこそ。ちょっと待ってくれよ。う〜ん、ダメだ……。おかしいなぁ」

 この素朴さが、男にカリスマ性を見につけさせなかったのだろうか。あるいはやはり、彼にバトンを渡したモハメド・アリの存在が大き過ぎたのだろうか。

 待たされながら、部屋の中を見渡すと、幾つもの家族の写真が目に飛び込んできた。それらは、ホームズがどれだけ家庭を大事にしているかを表していた。

 暫くすると、元チャンピオンはソファに腰を下ろし、「今日は、遠いところをわざわざありがとう」と言った。思いがけない言葉が、心に響いた。また、彼がこちらに向けてくる柔らかな眼差しも印象的だった。

 ラリー・ホームズ。1949年11月3日生まれ。48歳の現役ボクサーである。幼い頃、両親が離婚し、母親の手だけで、彼を含む11人の兄弟は成長した。

「凄く貧しかった。だから、少しでも母親を助けなければ、って子供ながらに思っててさ。中学を途中で辞めて、洗車の仕事を始めたんだ。中学も卒業していないんだから、いい仕事なんて見つかるわけないんだけど、働かなきゃいけない状態だったんだよ」

 学生だった頃、ホームズはバスケットやフットボールの名手だった。ボクシングも得意なスポーツのうちの一つだった。だが、中退したことにより、活躍の場を失う。そんな彼は18歳のある日、ボクシングと“再会”を果たす。

「強くなりたかったし、何かに打ち込んでみたかった。それで、近所のジムでトレーナーをしていた元プロボクサーのアニー・バトラーに、『ボクにボクシングを教えて下さい』って頼みに行ったんだ」

 やがてホームズは。アマチュアのキャリアをスタートさせる。71年には運命的とも言えるモハメド・アリとの出会いが訪れた。

「アニーがアリのトレーナー、アンジェロ・ダンディを知っててさ。彼のエキシビジョンを見に行ったんだ。そしたら、『お前も出るか?』って言ってくれて、それがきっかけで、4年間、スパーリングパートナーを務めることになった」

 ボクシング史上最強で、最高の輝きを放った男、モハメド・アリ。1942年生まれのアリはホームズより7歳年上ということになる。ローマ五輪で金メダルを獲得後、プロ入り。4年後に世界ヘビー級チャンピオンとなり、9度の防衛を果たす。その間、29戦全勝23KO。アリの行く手を阻む存在は見受けられなかった。

 しかし、60年代の激しい人種差別とも闘い続けていたアリは、「ベトコンは俺を“黒んぼ”とは呼ばなかった。俺に彼らを殺す理由など、何もない」とベトナム戦争への徴兵を拒否。よってタイトルを剥奪される。

 3年半後、最高裁で無罪を勝ち取ったアリはカムバックし、王座返り咲きを目指すが、当時のチャンピオン、ジョー・フレージャーに敗れ、プロ生活初の敗北を喫する。ホームズがアリと出会ったのは、そんな時期だった。


つねにアリと比較され、“コピー”の扱いを受けたホームズ。実力が拮抗したライバルがいなかったのも不運だった。
「あんな人って、後にも先にも出ないでしょう。ボクサーとしてはもちろんだけど、人間としても本当に偉大だよね。彼が王座に返り咲いたザイール、フレージャーとやったフィリピンにも同行したよ。特に何かを教えてくれたわけじゃないけど、そばにいるだけで、自分自身も成長できた」

 74年、アリは因縁の相手フレージャーを判定で下し、3年前の借りを返した。その後、圧倒的不利を唱えられながら、当時無敗を誇っていたジョージ・フォアマンをKOして、再び世界の頂点に立つ。また、翌年にはフレージャーと3度目の対戦を行い、最終ラウンドに棄権勝ちを収めていた。

 ホームズは、そんなアリの背中を、スパーリングパートナーとして、ずっと見続けていたのだった。

「アリの前座にも4回くらい出たよ。73年のプロデビュー以来、私もずっと負けなしできていたんだ。でも、プロモーターのドン・キングに気に入られていなかったから、大物との試合は組まれないし、アリに挑戦なんてできるはずないし…、いたずらに時間ばかりが過ぎていった。だから、あの頃は自分がチャンピオンになれるとは思っていなかった」

 78年、アリはレオン・スピンクスに判定負けして一度王座を失う。が、7ヵ月後のリターンマッチで雪辱。三度世界ヘビー級王座に就くという偉業を成し遂げた後、引退を表明する。

 この時、ボクシング界は混乱期にあった。二大プロモーター、ドン・キングとボブ・アラムの権力争いが縺れに縺れ、同じ階級にWBAとWBCという2つの団体のチャンピオンが存在するという事態が生じる。ヘビー級市場をアラムに独占されることを恐れたキングが、密な関係を続けていたWBC会長をそそのかし、WBAからWBCを強引に独立させたのである。

 78年6月9日、キングはWBC暫定王者となったケン・ノートンに、ホームズをぶつけた。チャンピオン、チャレンジャー共に、キングの持ち駒だった。

「私を最も苦しめたのは、ノートンだね。あの時、向こうはアリと3度も試合をしているトップ選手。私は無名。負けたら二度とチャンスはないだろうと思った」

 この試合は一進一退の展開のまま、両者フルに15ラウンドを戦った。判定は、2―1でホームズ勝利を告げた。

「全てを出し尽くしたファイトだった。内容も『今世紀最高の試合』と言っていいと自負している。ベルトを手にした時は、嬉しかったよ」

 しかし、勝者を称える観客はほとんどいなかった。ノートンの人気の方が明らかに上であったし、ホームズのファイティングスタイルは「アリのコピー」と呼ばれるほど、“最強の男”と似たものであったからだ。ファンはどうしても、ホームズの姿にアリをオーバーラップさせた。アリと比べられれば、ホームズに勝ち目はなかった。

「意識していたつもりはないけど、彼に鍛えてもらったから、知らず知らずのうちに似てしまったのかもしれないね」

 ボクサーは常に「自分のボクシング」を完成させようと努力する。その中で、独自の武器を身につけ、弱点を克服していく。ホームズの体格や長所は、たまたまアリのスタイルとよく似ていた。だが、大衆には「真似」としか映らなかった。

 彼を苦しめるチャレンジャーも見当たらなかった。即ち、アリのようにライバルたちとドラマティックな試合を重ねることが、ホームズにはできなかった。彼は、力の劣る対戦相手を次々とノックアウトで沈めていく。

 そして迎えた8度目の防衛戦、あのアリがカムバックを決意し、ホームズの前に挑戦者として立ちはだかる。80年10月2日、ホームズは既に限界を感じて引退し、気紛れでリングに上がった老いぼれであるアリを、叩きのめさねばならなかった。

「悲しかった。本当に。アリはもう昔のアリじゃなかった。早く試合を終わらせてあげようとも思ったし、パンチを打つ時、力を抜いてしまう自分にも気がついた。いつの間にか、涙が出ていたよ」

 現在アリの舌がもつれ、体が思うように動かないのは、パーキンソン病の影響だけでなく、この試合の後遺症だという声も多い。

 その後、WBC、 IBFと、二つのタイトルを通算20度防衛し、マイケル・スピンクス(レオンの弟)に二連敗すると、ホームズは引退を発表する。彼と入れ替わるように、マイク・タイソンの時代が訪れた。

 タイソンも、ヘビー級王座を統一してしまうと、なかなか相手が見つからなかった。そこで、ドン・キングはネームバリューのあるホームズを利用することを考える。

「ヤツがこのオフィスに着て、延々と口説いたんだ。『300万ドル出すからやれ!』って。ブランクのことなど忘れて、乗せられちゃってね」

 ホームズは全くいいところなく、4回TKOで敗れる。この時の彼は、単なる「元チャンピオン」でしかなかった。

「タイソンはいいファイターで、パンチもあった。でも私の全盛期だったら勝ったと思うよ。よくアリと比べる人がいるけど、全然レベルが違うよ」

 そんな状況にありながら、タイソン戦から3年後の91年、ホームズは本格的にリング復帰を決める。

「ジョージ(フォアマン)も頑張っているし、私にもやれると感じたんだ」

 同世代で現役のジョージ・フォアマンは、ホームズが引退を宣言した翌年、10年ぶりにカムバックし、4年間連勝を続けて、世界タイトル挑戦権を得た。そして、42歳にして、28歳の統一王者、ホリフィールドを相手に善戦する。結局判定で敗れるが、彼のファイティングスピリットと、試合後の「老いることは恥ではない」という言葉は、多くの人に感動を呼んだ。

 復帰7戦目、ホームズもまた、ホリフィールドのタイトルに挑戦し、判定まで粘る。しかし、フォアマンのような気の利いたセリフを口にできるはずもなく、ここでも二番煎じとしか見られなかった。

 ホームズは今、そのフォアマンとの対戦を熱望している。

「ジョージと私は一つ違い(ホームズが一つ下)、つまり同世代なんだ。2人が現役でやれてるってことは、いかに今の選手のレベルが低いかってことさ。アリ、フレージャー、ノートン……私たちの時代のほうが数段上だよ。50歳近い我々が、どんなファイトをするか、今の選手に負けていないことを証明したいんだ。今、ジョージと色々話し合っているところさ」

 この試合は、ホームズが人気を獲得し、尊敬の目を向けられる最後のチャンスとなるだろう。彼の場合、朴訥ともいえる人の良さが、自己を強くアピールすることを躊躇わせてきた。また、アリの次という、時代の巡り合わせも悪かった。もしホームズが、90年代に全盛期を迎えていたなら、間違いなくスター王者となっていただろう。現在ナンバーワンとされるホリフィールドと、ホームズのピーク時では、確実にホームズの方が上である。

「私は常に高い目標を掲げて、努力してきた。その結果、7年半世界王座を守れた。人間は、誰もが成功者となる可能性を秘めている。努力する者は、必ず勝利者になれるんだ」

 ホームズは、ボクシングを通じて得たものは? という問いにこう答えた。フォアマン戦では、約50年の彼の人生の全てを見せてほしいものだ。そして試合後、ぜひこの言葉を口にしてほしい。その時彼は、イーストンだけでなく、アメリカの星となるに違いない。

〜『PENTHOUSE』1998年7月号より

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<当時を振り返って・・・>

 インタビュー後、彼のオフィスに2度足を運び追加取材した。

 また、1999年6月のホームズvsボーン・"クラッシャー"・スミス戦も『週刊プレイボーイ』でレポートした思い出がある。「オレは肉体美を誇ろうとか、"ザ・グレイティスト"と呼ばれたい、なんて気持ちになったことは無い。ただ、金を稼いで家族を守りたかった…」と語っていたが、彼の人柄を象徴する言葉ではないだろか。

[2003.11.03 記]


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