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■在米ライター林壮一の米国取材記■

〜筆者&編集部特選! 再録ノンフィクション“REY TIME”〜

vol.6 まだ、終われないよ…“テリブル”テリー・ノリス

「再起戦? それがまだ、白紙の状態なんだ。オレとしては、4月くらいにはやりたいんだけどね」

 電話の向こうの声は沈んでいた。『敗戦』から2カ月。男は誰もが予想し得なかったKO負けで、世界王者から転落していた。

「何が敗因だと感じてる?」

 辛辣とも思える質問を投げかけると、暫くの沈黙の後、彼は答えた。

「分からない。コンディションも悪くなかったし、本当に分からないんだ……」

 そして、付け加えた。

「でも、もしリターンマッチが決まれば、必ずリベンジする。そして、オレが“テリブル”であることを、もう一度証明してみせる」

 台詞とは裏腹に、どこか寂し気で、弱々しい口調だ。『オスカー・デラホーヤをストップする初めての男になる』という夢が消え失せたばかりでなく、今回の敗北は、彼のボクサー生活において致命的なものであるように思えた。この男もまた、時の流れには逆らえず、萎んでゆくのだろうか。重い空気が受話器から伝わった。

 1997年12月6日。WBC世界ジュニアミドル級チャンピオン、テリー・ノリス(30)は、キース・ムリングスに9回TKOで敗れ、ベルトを失った。


“テリブル”というニックネームを持つ彼は、90年代を代表するスター・チャンプだった。かつては、パウンド・フォー・パウンド(もし、すべての階級の世界王者が同じウエイトであったとしたら、誰が一番強いかを批評すること)最強の名をほしいままにしたものである。ここ数年は、やや低迷を続けていたものの、6月20日に現在のパウンド・フォー・パウンド、ナンバーワンとされるオスカー・デラホーヤとの試合が決まり、ドリームカード実現として人々の関心を集めていた。

 皮肉にもムリングスに負けてしまう心配など全くせず、私は彼にデラホーヤ戦に関するインタビューを済ませていた。今となっては遠い昔のことのように感じるが、97年11月下旬の、チャンピオンだったノリスの言葉を記したい。

 1967年、テキサス州ラバック生まれ。元プロボクサーの父と、2つ年上の兄(元WBA世界クルーザー級チャンピオン、オーリン・ノリス)の影響から、9歳でグローブを握る。

 「ガキの頃はスポーツが大好きでね、中でも野球が得意だった。ボクシングは、兄貴と遊びでスパーリングの真似事みたいなことをよくやったよ。ごく自然にやり始めたね」

 アマチュアで295戦して、負けは4つのみ。19歳でプロに転向する。

「ビッグマネーを手にする可能性が見えた、ってところかな。兄貴もプロになっていたし、彼の3戦目にオレもデビューしたんだ」

 すぐに頭角を現したノリスは、3年余りで北米タイトルを奪取し、さらに世界戦の舞台が用意される。89年7月30日、ジュリアン・ジャクソンの持つWBA世界ジュニアミドル級タイトルにチャレンジ。しかし、2ラウンドでノックアウト負けを喫する。

「ジュリアンは、何もかもがオレより上だった。1ラウンドからたくさん喰らっちゃって、右の破壊力は凄かったね」

 初挑戦では苦汁をなめたが、世界レベルの実力者であることに変わりはなかった。翌年、WBC同級王者のジョン・ムガビを1回KOで下して王座を獲得。そして、初防衛に成功した後、思わぬ人物から挑戦状を突き付けられる。

 5階級を制覇し、モハメド・アリの後継者として一世を風靡した伝説の男、シュガー・レイ・レナードである。すでにピークを過ぎ、引退、カムバックを何度も繰り返していたが、レナードとノリスのファイトは誰もが注目する一戦となった。

 昇り調子のノリスは、レナードからダウンを奪い、大差の判定勝ちを収める。この試合によって彼は、『レナードに引導を渡した男』として、一躍人気選手となった。

「オレの最初のビッグマッチだろうね。ベストファイトと言っていいんじゃないかな。衰えてる、って言ってもレナードはレナードさ。速かったし、いいファイターだった。あの試合はいろんな人がオレを称えてくれた。ずっと尊敬し、憧れてたレナードに勝ったんだ。自分を誇りに感じたよ」

 スターの仲間入りを果たしたノリスは、10度の防衛に成功。真の実力者としての評価が固まりつつある頃だった。93年12月、サイモン・ブラウンに4回TKOで敗れ、タイトルを失う。

「実は試合前のキャンプ中に、マネージャーとファイトマネーの件で揉めてね。精神的に疲れていたんだ。集中しよう、集中しよう、と思ったんだけど…、そんな状態でリングに上がって、あの通りさ」

 5カ月後、ノリスはブラウンからタイトルを取り戻し、ドン・キングと契約を結ぶ。だが、またしても彼はつまずいてしまう。94年11月12日、イージーな挑戦者のはずだった、ルイス・サンタナにラビットパンチ(後頭部を打つ反則)を見舞い、失格負け。当然のことながら王座も移動し、無冠となる。チャレンジャーとして再びサンタナとグローブを合わせたリ・マッチも、同じように失格で敗者に。3戦目でようやくベルトを取り戻すが、これらの反則行為により、彼の人気は下降線を辿り始めた。

「はっきり言って、サンタナとオレじゃレベルが違ったと思うんだ。本当にバカなミスをしてしまったよ。まあ、色々学んだけどさ」

 かつてのノリスのボクシングの特徴は、華麗なフットワークだった。が、いつ頃からか、がむしゃらに相手を倒しにいくスタイルへと変化をみせる。アウトボクサーからボクサーファイターへの転向を果たしたノリスは、KOの山を築き上げていった。IBF王者との統一戦もクリアし、再び評価を上げる。


強豪の1人だったが、真の英雄には成り切れなかったノリス。思わぬ敗戦、マネジャーとのトラブル等、悲運、不運が重なった…。
 しかし、ファイティングスタイルの変化は、失いつつあるスピードを補うが故、と感じられなくもない。2つの失格負けは、強引に倒しにいき、勢い余って振るってしまったラビットパンチであったように見えた。3度目のサンタナ戦以降、ノリスは3年間で8連勝。そのうち、7つがKO勝ちである。この間、名のあるチャレンジャーとの対戦はない。打たれ強くない彼を世界の頂点に導いた“躱して打つ”というボクシングをせずに勝ち星を重ねていた。もし、実力伯仲のハードヒッターを相手にした場合、やはり彼の本来の姿である、アウトボクサーとして闘うべきだと思えた。

 97年初頭、中量級には4人のスーパースター候補がいた。IBFウエルター級チャンピオン、フェリックス・トリニダード、WBCジュニアウエルター級チャンピオン、オスカー・デラホーヤ、同タイトルウエルター級王者のパーネル・ウィティカー、そして同ジュニアミドル級チャンピオンのテリー・ノリスである。

 4月、デラホーヤとウィティカーの試合が組まれ、デラホーヤが生き残った。ノリスも、同じドン・キング傘下にいたトリニダードとのファイトが決定した。9月6日、マジソンスクエアガーデン。ハイレベルな試合が予想され、ファンの期待は高まっていた。

 だが、事態はあらぬ方向へ進む。ノリスはドン・キング、そしてマネージャーのジョー・サヤトビッチを詐欺で訴えたのである。2人はノリスに無断で、契約を結んでいたのだ。

〈キングに借金をしたサヤトビッチの支払いが済むまで、ノリスにサラリーは支払われない〉というものだった。

「最悪な奴等だぜ。もう二度と付き合わないよ」

 ここでノリスは、デラホーヤを抱えるボブ・アラムプロモーターの選手となる。ターゲットは、トリニダードではなく、WBCウエルター級チャンプとなったオスカー・“ゴールデンボーイ”・デラホーヤへと変わった。しかも、ノリスは自ら1階級クラスを下げ、チャレンジャーとしてデラホーヤと対峙することを決める。

「ベストウエイトはジュニアミドルだけど、ウエルターへ落とすのは、全く問題ない。オスカーはいいファイターだけど、グレイトってわけじゃない。もちろん倒すよ。彼からベルトを奪う最初の男になるのはこのオレさ。だから、敢えてチャレンジャーを選んだんだ。自分がどれくらいの選手かをお見せしたいね。その次はトリニダード、そしてウィティカーを下して、パウンド・フォー・パウンドのトップが誰かを証明したい」

 そう、自信たっぷりにノリスは語っていたのだが……。

 ムリングス戦を最後に、ジュニアミドルのタイトルを返上。3月にウエルターでのチューンナップ試合を挟み、デラホーヤ戦を迎える、というシナリオが書かれた。そして、12月6日、ノリスはデラホーヤの前座として、ムリングスとグローブを合わせたのだ。

 序盤、ペースを握ったのはノリスだった。フットワークを武器に、シャープなジャブをビシビシと決める。その展開を見れば、まず彼の勝利は動かないだろうと思えた。

 しかし、ラウンドが進むにつれ、ノリスはスピードを失っていく。ポイントではリードしているものの、決め手のない攻撃に、場内にはブーイングが沸き起こった。

 第5ラウンド。軽い右ストレートを喰らい、よろよろと後退する。盛り返したいノリスだったが、打たれても打たれても表情を変えず、前へ出てくるタフなムリングスを持て余していた。次第に試合の主導権を奪われていく。

 そして第8ラウンド残り40秒。右ストレートから左フックをクリーンヒットされ、ダウン。この状態から試合を立て直すのは、もはや不可能だった。起き上がり、次のラウンド開始のゴングを聞くが、ノリスがキャンバスに沈むのは時間の問題だった。

 左アッパー、右アッパー、左フック、右ストレート……と、コーナーに釘付けにされ、今にも崩れ落ちそうなところで、レフリーが試合を止めた。危険を感じたノリスのコーナーからは、ほぼ同じタイミングでタオルが投げられていた。

* * * * *

 ノリスという選手は、強豪の1人には違いなかったが、どうしても真の英雄には成り切れないでいた。今回同様、思わぬところで派手な負け方をしてしまうからだ。デラホーヤという、今が旬の王者を倒すことができれば、スーパー・チャンプとしてボクシング史にその名を刻めたことだろう。

 だが、敗戦内容から見て、ノリスが再びトップの座に返り咲くのは難しいと感じざるを得ない。そのスピードが物語るように、明らかにピークを過ぎている。

「ムリングスにリベンジして、次にデラホーヤと闘いたい。まだまだ終われないよ」

 電話口から聞こえる呟くようなノリスの声に、返す言葉が見付からなかった。

〜『PENTHOUSE』1998年5月号より

* * * * * * * * * * * * * * *

<当時を振り返って・・・>

 デラホーヤvsノリス。是非、観てみたいファイトだった。

 しかし、ムリングスにまさかのKO負けを喰らったノリスは、見る影もない程衰えていった。そして、脳波に異常ありと診断されて、引退。彼に再会したのは、この文章を書いてから3年3カ月後のことである。場所は、NY州カナストータ、2001年「ボクシング殿堂・フェスティバル」において。

 顔を合わすなり、「あの時はありがとう」と言ってくれた。元気そうで安心した。デラホーヤのピーク時とノリスのピーク時なら、ノリスの方が強いと思うのは、私だけだろうか。

[2003.10.27 記]


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