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■妄想家・夏野澤夫の架空小説 〜ばかばかしいけど、真剣!〜■

夢想世界バンタム級タイトルマッチ
[辰吉丈一郎 vs 鬼塚勝也]

←第2章

第3章  戦 闘


 モニターを見て、金子三郎は舌打ちした。

 他局のカメラは、昼間の東京ドーム周辺の雑踏をひとわたり横なぎしたあと、和服の中年女を映し出していた。

−−どちらからですか?

「大阪から」

−−チケットを手に入れるのは大変だったでしょう?

「それが、ないんです」

−−チケットがないんですか?

「そうです。すぐに売り切れてしまいよって、そやけどここ来たら手にはいるかな思うて来てみたんですけど、やっぱりあれしません」

−−チケットないと試合見られませんよね。

「仕方ありません。そやけど辰ちゃんの試合はありますから」

−−辰吉選手のファンですか?

「はい、試合見られなくても、少しでも辰ちゃんの近くにいたい思うとりますから」

 残念そうな、嬉しそうな中年女の顔つきを見て、金子は隣のアシスタント・ディレクターに言った。

「ヤラセくさいな。このおばさん、サクラだろ」

「どうでしょう…」

「初詣から流れてきたのをつかまえたんじゃないか。ま、いいさ、ご愛嬌だ」

 金子はなおもモニターから目を離さなかった。

 自局が拾ったのは、徹夜で並んだという女子高生風の三人連れだった。キャーキャー騒いだかと思うと、一転、泣き顔になって手を合わせ鬼塚鬼塚と呟きながら祈る姿は、どう見ても家出娘ではないかと金子は思った。

 幾重にも続くCMがようやく終って、会場の風景に切り替わると、それを待ちかねたように、いきなり照明がおちて、闇の中に『死亡遊戯』がながれた。

 青コーナーへ続く花道にスポットライトがあたり、白いガウンをまとった辰吉があらわれる。

 すさまじい歓声である。ライトに目を細めつつ、右手を揚げて歓呼にこたえる。

「辰吉丈一郎の入場です…」

 言ったつもりだが声が通らない。的場は思わず天井を見上げた。

 どこかにほころびが生じてはいないか。そこかしこの壁面に亀裂が走って、このまま天井が崩れ落ちはしないか。それも本望と思うファンは、5万観衆の中、1人や2人ではないだろう。あらためて辰吉人気の高さを知った。

 このひと月、的場は学生時代にかえった気分で、文献と映像を漁った。にわか仕込みもあったが、ああも言おう、こうも伝えようと考えていたことが、この大歓声でことごとく封じられ、せっかくの仕入れがふいになった。段取りが狂って慌てるはずが、この夜の的場は、場内がわきかえるほどに妙に冷静になってゆき、思わくが外れたことに対しても、残念ではあるものの、かえって怖気が消えて、なんだか胆がすわったような心持になってゆくのがわかった。

 実況をしばらくあきらめて、手許のCMボタンを確認した。これを押したらCMが入る仕掛けである。

 片岡鶴太郎、古口トレーナーに守られて、黒づくめの鬼塚が無愛想にリングインするまで、歓呼のどよめきはおさまらない。

 実況がままならぬのはやむをえないとしても、関係者があわてたのは予定を十数分超過してしまったことだった。判定になった場合、時間枠におさまらないおそれがでてきたのだ。

 すぐさま国歌斉唱に移った。起立をもとめたがすでに会場の過半は立ち上がったままだった。

 両者紹介のアナウンスで、またも会場全体がうおーんという地鳴りに包まれる。これ以上、観客の興奮に時間をのばすわけにはいかない。

 森田レフリーはすみやかに両者をリング中央に呼び寄せた。目は合わせない。うつむき加減のまま、型どおりの注意を聞き終えて、互いに背を向けコーナーに戻った。

 振り返ってゴングを待つ、わずか1秒か2秒、今度は場内をおそろしい静寂が支配した。5万人がいちどきに呼吸をとめて、リングを見つめた。

 得体の知れぬ巨大なものに呑み込まれる寸前の、総毛立つ恐怖と恍惚とを的場は感じた。

《1R》
 どこへ行くのかわからない出発の合図が鳴った。

「モノが違うんだ、奴にボクシングを教えてやれ」

 大久保トレーナーはそう言って辰吉を送り出した。

 赤コーナーの古口は鬼塚の耳もとで囁き、肩をたたいた。

「お前は負けないチャンピオンだ、気を抜かずに、さあ、行ってこい」

 リング中央、互いの左グラブを接するとすぐ、軽いステップで左へまわる辰吉。鬼塚は高いガードの間から辰吉を追った。辰吉は左を二発、鬼塚の顔面に放つがグラブに軽く触れた程度、それでも会場はやんやの喝采。

「辰吉、調子良さそうだね」

 解説の白井が言った。

「鬼塚はどうでしょう」

 水を向けると具志堅が応えた。

「ちょっと硬いね。鬼塚は初めは相手を見ていくんだけど、ちょっと硬そうだね」

「試合間隔が短すぎることが心配されていますが、その点は、白井さん、いかがですか」

「わかりませんねえ。ただ、鬼塚だってやる気満々のはずですからねえ、きっといい試合をしてくれると、うん、思いますよ」

 答えられないことを訊いてくれるなと言いたげに、白井の表情がわずかに曇った。昔の選手ははるかに過酷なスケジュールでやっていましたから大丈夫です、というようなコメントを、的場は期待したのだが、これはアテが外れた。

 ラウンド半ば、鬼塚、ワンツーを出すが届かない。辰吉は軽快な足の運びで左、左、ときに右、左。クリーンヒットはないが余裕があり、ラウンドを支配する。

 オーロラビジョンに「30-27」の電光掲示が出る。ジャッジ3人とも、10-9で辰吉のポイントとした。

「辰吉のラウンドだね、しかしラウンドごとに採点を明かすのはいかがなもんですかなあ」

 白井は公式採点公表が気にいらず、公表の是非については触れないという打ち合わせを忘れて、つい口走ってしまった。

 的場はとりあわず、両者の体格比較表を読み上げたあと、ほこさきを変えた。

「辰吉は左へまわりましたが、なぜ左へまわるんでしょうか」

<愚にもつかぬことを尋ねますが、そのときは一般の視聴者を意識して応えてください>と、これも申し合わせてある。

 白井が応えた。

「辰吉君はオーソドックスだからね、オーソドックスだったら初めは左へまわります」

「オーソドックスというのはつまり右利きということですか」

「そうです、左利きはサウスポーと言います。右利きは左手左足を前にして構えます。得意のパンチは、まあ右パンチになりますから、その右を強く当てるために、反対の左を前にします。そうすると自然に左にまわります。右にまわろうとすると引いた右足から動かなくてはなりませんから、ぎくしゃくして、おまけに相手の正面にたってしまって危険です」

「なるほど」

「左にまわりながらリードブローを出していく、これが基本ですな」

「リードブローというのは…」

「左ジャブです。パンチの種類から言えばストレートなんですけれどもね、まっすぐ、すばやく、小刻みに出すことからジャブと言われるようになったんですな。構えたときに前にあるほう、相手に近いほうの拳、これで相手の出方を探ったり、距離をはかったり、牽制したり、崩したり、いろんなことができます」

「ということは、その左ジャブのリードブローの出来いかんで、試合が大きく左右されるということですかね」

「左は世界を制す、と言うでしょう」

「そうですね、よく聞く文句ですが、あれはリードブローがいかに重要かを言ったことなんですね」

「そうです、左がね、ま、サウスポーは右になりますが、どれだけ効果的に使いこなせるか、これが勝敗をわける鍵になりますな」

「わかりました。テレビの前の皆様も今の白井さんのお話を頭のすみにとどめおかれまして、ご覧いただければ面白いかと思います」

 的場は、左は世界を制す、というフレーズの出所がどこなのか、前々から気になっていた。言わんとすることは分かるのだが、誰の言葉なのかいまだに分からない。わからないまま無断借用を繰り返すことに、坐りどころの悪さを感じていた。

 発祥の地イギリスの金言だろうとは思うが、はっきりとは分からなかったため、これ以上の深入りは意味がないと判断した。それでも具志堅がおっかけ、発言した。

「いきなり右だしたって当らない、右あてるために左つかうんよ」

《2R》
 辰吉いきなり左右を顔面にもっていく。ブロックされたが次の左は得意のボディブローで鬼塚の右脇腹へ入った。鬼塚、左右ストレートで応戦するがダッキングでかわされる。

 辰吉またもサークリングをはじめるが、その輪は徐々にちいさくなり、プレッシャーを強めていく。迎え撃つ恰好の鬼塚は2分過ぎからようやくコンビネーションが出るが、いずれも空を打つ。

「辰吉、調子いいね」

 具志堅の甲高い声にかぶせて、白井が言う。

「鬼塚もなんかしないとこのままじゃペース握られて、ずるずるいってしまいますよ」

「鬼塚はどうすればいいですか」

「もう少し手を出さなきゃ、辰吉が入ってきたときに小さく、ショートでパンチ出せば当りますよ」

 具志堅が補う。

「辰吉ノーガードに近いよ、右でも左でも小さく出せば当りますよ。鬼塚まだパンチ大きいね、狙い過ぎ。顔じゃなくて腹、胸でもいい、とにかくパンチ当てること」

 終了間際、辰吉の左ボディが再びクリーンヒット。

 採点は30-27。的場はCMボタンを押した。

第4章



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