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■妄想家・夏野澤夫の架空小説 〜ばかばかしいけど、真剣!〜■

夢想世界バンタム級タイトルマッチ
[辰吉丈一郎 vs 鬼塚勝也]


第1章  両 雄



 的場健二は会場の片隅で爪先立ちになりながら、金屏風を背に坐る三人の様子を追っていた。

 帝拳ジム本田明彦会長をはさんで2人のボクサーが並んでいる。両者ともジャージに背広をひっかけていて、ちぐはぐな装いである。それぞれの所属ジムの関係者は袖に引っ込んでいる。

 日本人同士の世界戦は珍しいものではなくなったが、世界のベルトを巻いた人気者同士の対決とあって、報道陣は300名を越えていた。

 対戦を望む声は早くからあったが、契約しているテレビ局がちがうことで、おそらくは夢と消えるだろうと大方は諦めていた。

 それが急転直下実現の運びとなったのは、秋の番組改編で交替した双方の番組プロデューサーが、たまたまボクシング狂だったからである。グラスの中の氷が音をたてるように、話がことりと動いて、あとは意気に感じた両陣営ならびに関係者の尽力で、事は秘密裡に進んだ。

 テレビの問題は解決に向かっていたが、ここにきて最大の障害は辰吉の網膜剥離による国内ライセンス剥奪をどうするかだった。ニホン・ボクシング・コミッション(NBC)は、ルールをたてにリング復帰を認めなかったが、誰がどんな飴玉をしゃぶらせたのか、NBCは11月半ばになって、医師のお墨付きがでたため、異例ではあるが、この試合に限って国内復帰を認めると発表した。

 こうして20世紀最後?のドリームマッチは、1月2日、東京ドームで行われることになった。

 NBCの発表より一時間早く、正式決定の一報は、相撲以外の格闘技には冷淡な国営テレビからもたらされていた。号外がでた。ここにも姿なき裏方の工作演出が働いていた。

 キャッチフレーズは「オール・オア・ナッシング」。

 このいささか手垢のついた謳い文句は、だから、ボクサーよりもむしろ実現に向けて走りまわった多くの人間の心意気を表すものになった。

 集まった報道陣を前に、本田明彦が実現に至る経緯を手短かに説明したあとで、間、髪を入れず、口を開いたのは鬼塚だった。

「この間のタノムサク戦で、また僕は疑惑判定と叩かれました。その前も叩かれました。タイトル奪った次の日から叩かれ続けてきました。松村さんとやったときは弱い者いじめして何が愉しいと言われました。カストロは、世界ランク1位だったけど見かけだおしの挑戦者だった、なんて書かれました。今度もまた叩かれるかもしれません」

 300人は息をつめたが、中の一人が言葉尻をとらえたつもりで発言した。

−−今度もまた叩かれるかもしれないということは、裏返せば、勝算はあるということですか。

「そういうことではありません。僕が言いたいのは」

 そこで言葉を切ると、ちいさく唇をかんでから、早口でひとこと言い放った。

「いっちょん好かん」

 こんどは女性記者が尋ねた。

−−ごめんなさい、いま何とおっしゃったんですか?

 鬼塚は応えなかった。

<オレだけじゃ物足りず、とうちゃんかあちゃんのことまで悪しざまに書いた奴がこの中にいる。同調した奴がいる。マスコミなんて大嫌いだと言ったんだよ…>

 鬼塚は、つかのま、怒りを宿した眼差しで報道陣を見渡した。

 気まずい空気を払うように別の記者が辰吉に質問した。

−−試合が決まったとき、どんな気持でしたか?

「日本でリングに上がれるゆうこと」

−−それはどんな気持ですか

「そやなあ」

 辰吉はおもむろに背広のポケットから白いハンカチを取り出して、目頭をおさえた。肩が小刻みに震えていた。

 しーんとした会場に嗚咽がもれた、ような気がして誰もが辰吉を見守った。シャッターを切る音がやけに目立った。

−−あの…。

 左頬にイボのある芸能レポーターの男が遠慮がちを装って声をかけた。

−−お気持、お察しします。あの、それでですね…

 語を継ごうとしたとき、辰吉は顔にあてていたハンカチをとった。目をむいて舌を出した。いないいないばあ。

「ま、こんな気持でんねん」

 くさい芝居に会場から失笑がもれた。

 間隙をついて若い女性アナウンサーが急いた口調で言った。

−−お二人にお尋ねします。今度の世界タイトルマッチは2つのベルトを賭けるという大一番ですが、そういった意味ではともにチャンピオンであり、チャレンジャーであるわけですよね。そこで試合への意気込み、抱負、相手の印象、作戦、展開予想、ファンへのメッセージ、そういったものをお聞かせください。

 露骨にあくびをしてから辰吉が応えた。

「あんたも欲張りやな」

 まともな記者会見に戻したと自負しかけた彼女は虚をつかれたが、

「わしも欲張りなんよ」

 辰吉が笑った。

「2つのベルトゆうても、こっちゃラバナレスに勝って暫定とってから、すぐに引退してもうたんやから、ほんまはあらへんのよ。皆さんもそない思うとるやろ? ええねん、そないなこと。そんなことより鬼塚選手とやってみたい思うとったからそれでええのよ。わしにない、何か不思議な力あるようで…。それを見てみたいんよ」

−−どういう展開になると思いますか?

「知らん」

−−ずばり予想は。

「せっかちやなあ。勝ちか負けか引き分けかノーコンテスト、どれかやろ。○×△クソして□ちゅうことや」

−−あ、え、そうですか。鬼塚さんはどうですか。

「何がですか」

−−え、あ、辰吉選手の印象…。

「強いです。やる前から敵わないと思わせる強さを持っている選手です」

−−そうですか。あの、鬼塚さんはまだ試合終わったばかりですが、辰吉さんとの試合までそんなに時間がありませんよね。そのあたりの影響はどうですか?

「わかりません。だけどみんなががんばってこんな大きな試合を組んでくれたんで、それに応えなくちゃいけないし、辰吉選手だって、逆にブランク作ってしまったし、条件を言ったらキリがないです」

<またおれはくさいことを言い出しているぞ。口を慎め、こんなやつらを相手にしている場合じゃないぞ>

−−そうですか。あ、それで、その辰吉選手を迎え撃つ心境はいかがですか?

<負けたらすべてがウンコになる、いや、クソになる、じゃなくて、ウソになる。どんな形でもいい、反則でもいい、お前は負けていたと非難されてもいい、金輪際、女を抱けなくてもいい、勝ちたい、勝ち残るしかない…>

 言葉に出したかったが、鬼塚は相手の顔色を見ると、真摯に応える気にはなれなかった。

 しつこく質問をしようとする女性アナに、もうええやろ、辰吉は立ち上がった。

 噛み合わないことを感じた一人が言った。

−−お二人にファイティングポーズを決めていただきたいと思います。

 カメラの放列が二人を狙う。

「そんなん、ええわ」

−−お願いします。

 鬼塚は坐ったまま、腰をあげる気配がない。

 辰吉は人差し指で右の耳の穴を掻きながら、しゃあないなあという思い入れで、報道陣の前に立った。前屈みになって掌を膝頭にのせて四股を踏む恰好になった。アゴを突き出し、ガンをとばした。ひと呼吸おいて、吼えた。

「だっちゅうの」

 照れ笑いを浮かべたまま退場してしまった。

 鬼塚もまたトイレに立つような様子で出ていった。

 ひとり残された本田明彦はほくそ笑んで、これも退出した。その背中に報道陣から矢継早に声がとんだ。

 これで終りですか? テレビはどこがやるんですか? おかしいよこんな会見! 今後のスケジュールは? ちょっとふざけてるんじゃないですか? ファイトマネーはいくらですか? なんとか言ってくださいよ! 興行はどこがやるんですか? ……

「あいつら世間をなめてやがる」

 隣にいたベテラン記者がつぶやくのを的場健二は聞いた。

 通常の会見であれば、自信にあふれた力強いコメントが両者からでてきて、華やいだなかに緊張感が漂うものだが、リップサービスも含めてそれら前向きな発言がほとんどなく、おまけに会見に臨んだのはボクサーと、おそらくプロモーター的役割を担ったであろう本田会長だけである。それぞれの陣営からは誰も出てこない。吉井会長も金平会長も姿は見せているが、場に着こうとはしなかった。本田会長の説明も場所と日取りをあらためて告げたにすぎないものだった。

 ルールも放映権も何も明かされていない。訊きだそうとしたところで一方的に打ち切りにされた恰好になった。3人のしぐさや様子も何かおかしい。悪い冗談ではないか。それに、こんな大試合を充分な時間をとらずに1月に行うというのは不自然だ。急いた気配があり、何かの事情が隠れていそうな気がする。

 文句を言いながら、或いは首をかしげながら、引き揚げてゆく報道陣を見送りながら、的場健二は誰もいなくなった会見席のあたりを眺めていた。わずか十五分の会見だった。すみやかに無造作に片付けが始まっていた。畳まれて運び出されてゆく金屏風、机、椅子。さっきまで鮨詰めだった会場がうそのようにがらんとなっている。そのとき的場は、後ろから誰かに肩を揺すぶられたような幻覚にとらわれて、はたと思い当った。

<もう試合は始まっている…>

 翌日のスポーツ紙には「増長チャンプ、人を喰った会見」の見出しがおどった。一般紙は、スポーツ欄の片隅に会見の様子を伝える囲み記事を載せただけだった。

第2章



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