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■妄想家・夏野澤夫の架空小説 〜ばかばかしいけど、真剣!〜■

架空、空想、幻想、なぜか恋愛話まで…
世界ミドル級タイトルマッチ
[カルロス・モンソン vs マービン・ハグラー]

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

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ローマにて(3) 〜告 白〜

 いつのまにか川沿いの道を歩いていた。風は心地よいはずだが、喉が渇く。

「観光客のふりして中に入れないかなあ」

 左手に見えるコロッセオを振り仰いで杏子がつぶやいた。

 大丈夫、チケットは2枚あるんだ、君の分はちゃんと用意してあるさ、立ち見だけどね。

 そう言ってポケットからチケットを取り出す。子供の笑顔で杏子が喜ぶ。せめて2階のボックス席をと走りまわったんだがだめだった。立ち見で悪いんだが、これでも手に入れるのに結構苦労したんだぜ。さあ行こう。手をとって足早に会場へ向かう。さっきの男ならきっとそうするだろう。

 パレードらしき賑やかな音を耳にしながら、おれはつまらぬ返事をしていた。

「だめに決まってるだろ。きょうだけは試合のためのコロッセオなんだから。もっともここでスクリーンを眺めるのは構わないらしいよ、とぎれとぎれの絵しか見られないだろうけど」

 ばかな野郎だ。なにをもたもたやっているんだ。すんなり差し出して一緒に見ようと言えばすむことじゃないか。

「そうよね、いいなあ、試合見られる人は」

 寂しげな顔で杏子がおれを見たとき、おれはそれとなくポケットに手を入れて、川面を見るふりをしながらチケットをさぐった。2枚あるはずのものが1枚になっている不安に駆られたからだ。

「見られるっていってもさ、3階の立ち見だからね、すり鉢のふちから、底でうごめく蟻を見るようなもんだろ」

「それだっていいじゃない。好きなボクサーの一世一代の大勝負に立ち会えるんだもの。羨ましいわ、ね、わくわくしてるでしょ」

「それほどでもないよ」

「うそ」

「うそじゃないさ」

「あたしに悪いと思って、気のなさそうなふりしてるんでしょ、素直じゃないなあ」

 いたずらな笑顔を取り戻して杏子がまたおれを見た。

 ばかやろう。素直じゃないのは認めるけどさ、なんだか分からなくなっちまいそうだ。そうじゃないんだ。スペイン広場で落ち合ってからおれは何を喋ってきたのか。

 警備員もダフ屋もやって来そうにはない。ええい、言ってしまおう。ポケットの中の親指と人差し指で2枚のチケットを確認してから声を出そうとしたとき、杏子が黄色い声をあげた。

「見て見て、いまスクリーンに何か映った、ほら」

 畜生、なんてばかなんだ、おれがばかなのか杏子がばかなのか、どっちでもいいが、おれが愚図で間抜けなのはたしかだ。  

 指差す彼方のスクリーンが点滅している。手前のスクリーンの背に隠れて全面が見えるわけではないが、こちらを向いているスクリンにはどうやらリングが映し出されている。それを見たとき、早く行かなければ、急いた気持ちにようやく後押しされた。

「2枚あるよ」

「え」

「2枚あるよ」

「え」

「だから2枚あるよ」

「何のこ…え、もしかしてチケット?」

「うん」

「うそぉ、ほんと?」

「うん」

 杏子の顔が一瞬こわばったように見えたのは気のせいか。

「そのかわり、今も言ったけど立ち見だよ」

「ばかじゃないの」

「何が」

「いちばん大事なことをなぜ先に言わないの」

 おれは目をそらして意味もなく首筋を掻いた。川面を渡る風がやっと届いた。

「あきれちゃうわ。そうと知っていれば寄り道なんかしなかったのに」

「べつに寄り道なんかじゃないだろ」

「建物や風景なんて、いつだって見られるわよ」

 あなたはそうかもしれないけどね、おれにはめったに見られないんだよ、最初で最後かもしれないし、別段、興味があるわけじゃないけどさ、せっかく来たんだから、見たっていいじゃないか。それに、あなたの言ういちばん大事なことを、なんだか知らないが、ほんとは知ってるんだが、少しばかり恐くてさ、なかなか言い出せなかったんだよ。おれだって自分にあきれてるよ。

 思ってみても言い返す気なんかなかった。叱られている手前、うなだれてはみたものの、風薫るひとときだった。

「だったら早く行こ」

 いきなり左手を取られた。瞬間、風がなくなって、景色も消えた。おれより冷たい手を加減しながら握りかえす。駆け出しているのに気づいたのはどのくらい経ってからだろう。行き交う人にチャオと声をかけたくなるとは現金なものだ。走りながら空いている右手でポケットをまさぐり、チケットを取り出して見せようとしたが、足がもつれた。

「なにやってるの」

「いや、チケットを見てもらおうと思ってさ」

「あるんでしょ」

「ああ」

「だったらいいわよ、早く行こ」

 歩をゆるめずに一目散に会場を目指した。いつもながら、ためらいのない様子がいい。

 コロッセオはとうに開場していて、白馬に跨った警察官が人目をひくが、混雑はほどほどで行列もなく、人々は順次中へ消えていく。どの入口から入ればいいのか、腕章をつけた係員に杏子が尋ねている。その向こうに談笑しながら入場していく2人連れを認めて、おれは思わず俯いた。

 黒いキャップをかぶり、モンソンとハグラーのファイティングポーズがプリントされた鼠色のTシャツを着込んでいるのは紛れもない、ミスター・ミヨシだった。嘘をついてチケットを手配させてしまったから、声を掛けられたらおれはなんと言い訳をしようか思いあぐねた。ミスター・ミヨシは某ホームページに海外観戦記なんかも連載している。いつかこの試合も筆になるだろう。そのとき、まさかおれなんぞのことを書きはしまいが、試合を引き立たせるための前フリでつまらぬことを誤って書きはしまいか。

 コロッセオの前で思わぬ人と会った。名前は出せないが、知人のために立ち見でいいからチケットを2枚用意してほしいと頼まれた人だったが、その当人が試合観戦に来ていた。しかも女性同伴だった。何かあると直感したので気づかないふりをしていた----。

 なんてこと、書きはしないよね。

 ミスター・ミヨシはさすがに観戦慣れしているだけあって、周囲にとけこんで違和感なく見えた。

「グラツィエ」

 係員に礼を言う杏子の声で顔をあげた。

「あそこの入場門から入ればいいって」

 指差す入口は今しがたミスター・ミヨシが当り前のように入っていったところだ。

「どこから入ったっていいんだろ。せっかく来たんだからぐるっと回ってみようよ。裏側にも入口はあるんだろうから」

「なに言ってるの。試合を見にきたんでしょ、どこから入っても同じなんだから、あそこから入って早くリングを見なくちゃ」

 先に立って行くので、仕方なく後に続いた。

 入口脇の立看板で杏子はふいに足を止めた。ミスター・ミヨシが着ていたTシャツと同じ絵柄のモンソンとハグラーだった。

「どっちが勝つんだろ。ね、やっぱりハグラー?」

 その笑顔を見ながら、寅治郎の声がかぶさって聞こえてきた。

第7章



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