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■妄想家・夏野澤夫の架空小説 〜ばかばかしいけど、真剣!〜■

あの「世界的プロモーター」の、ある1日
旦那様はドン・キング


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

第3章
第4章 ★ 仕事に出るあるじ

 あちこちのポケットに、しめて5,000ドル、アタッシュケースに20,000ドルの札束を詰め込んで、キングはラスヴェガス郊外の、ドン・キング・プロダクションズ所有のオフィス兼別宅を出た。

「旦那様、いってらっしゃいませ」

 玄関に整列したジョナサンとボブは、深々と辞儀をして主人を送り出した。公認会計士のような地味な背広を着込んだキングは、いつものように彼らを無視して不機嫌な顔つきで歩き出した。

 晴れ渡った五月の空の下、敷き詰められた大理石を踏み鳴らす靴音がカツカツと響いた。

 敷地を出るとすぐ、黒塗りのベンツがキングに近づいた。ベンツはキングに寄り添うようにして止まった。義理の息子カールのほかに、唯一キングが気を許す悪友、アル・ブレイヴァマンだった。

「よ、恰幅のいい旦那、どちらへお出かけだい。送るぜ、乗んなよ」

 茶の開襟シャツにグレーのジャケットを引っかけたブレイヴァマンは、左親指を立てて、にやけている。

 キングは立ち止まると、ブレイヴァマンを見るよりさきに周囲を窺った。誰も見ていないことを確かめてからそそくさと乗り込んだ。

「朝っぱらから変な声をかけるな。誰がどこで見てるか分からねえだろ」

「いいじゃねえか、誰がどこで見てようがさ。お前さんこそ、いつまでも変な体面を気にかけるなよ。人殺しや強盗をやらかしたわけじゃあねえんだから。・・・ま、昔はあったかもしれねえが」

「人聞きの悪いことを言うな。いいから窓を閉めてクルマを出してくれ」

 ブレイヴァマンは肩をすくめて、手もとのウィンドウ・ボタンを押した。

 走り出すとすぐに、キングはポケットからキューバ産の高級葉巻を取り出して、その先端を切り開いて火をつけた。

「おれにもくれ」

 すかさず言うブレイヴァマンに、キングはくわえたばかりのそれを無言で差し出した。

「あんがとさん。だけどなんだな、お前さんとこにゃ立派な運転手がいるってのによ、なんでそいつをもっと使わねえのかね」

 キングは再び葉巻を取り出して、同じように火をつけて、ふーっと一息吐き出した。

「奴は奴で使い道がある。まったくのお抱えにしちまうとすぐにつけあがる。なんの力もねえくせに生意気をやらかす」

「なるほど。もっともな理由のようだが本音はどうだか。お抱え運転手やボディガードを始終連れ歩いてるとギャングに見えちまうからじゃねえのか。“ドン・キングはギャングじゃありません、善良な市民の一人でございます”ってとこを見せたいんじゃねえのか?」

「大いなる誤解だ」

「いいじゃねえか、みーんな知ってるよ。ドン・キングはそこらのギャングじゃねえ、ギャングの上をいく特大のギャングだってこと」

「言葉がすぎるぞ」

「おれはお前さんを褒めてるんだ。いかさま賭博から始まって、人を二人も殺っちまっておきながら、お前さんは見事に立ち直った」

「なんの話だ」

「たいしたもんだぜ。針の穴ほどのチャンスに喰らいついて、あんたなりの怒りや向上心をもって、人の何倍何十倍働いて、押しも押されもしねえ大プロモーターにのしあがった。キンシャサの奇跡、懐かしいなあ。まったくうまくいったよなあ。あれは、アリが勝ったことが奇跡なんじゃねえ。すべてが計算ずくだったとしてもよ、あんたが神がかりだったことが奇跡なんだ。モハメド・アリもジョージ・フォアマンも、おれに言わせりゃ、お前さんのために生まれてきたようなもんだ。裏返せば、彼らの栄光はお前さんがいたからこそだ。いいや、彼らだけじゃねえ。そのあとのラリー・ホームズもマイク・タイソンも、ヘビー級ボクシングの栄光はお前さんがいたからこそだ」

「そうだ、そうだ、その通りだ。おれが今日のヘビー級を作り上げたんだ。世界中の人間の目をリングに釘付けにしたのはおれなんだ。おれがお膳立てをしてやったんだ。そればかりかアリもフォアマンもホームズも、みんなおれのおかげで金持ちになれたんだ。それぞれがそれぞれの名声を博することができたんだ。そういうことを世間の奴らはなーんにもわかっちゃいねえ。マイクだってな、奴は手のかかるガキだったが、おれがぶんどったんじゃない、マイクのほうからおれに近づいてきたんだ。マイクはおれに信頼を寄せていたんだ」

「人を殺したことで」

「おれに親しみを感じていたんだ。…って、おい。変な合の手いれるな」

「失礼」

「マイクは孤独に泣いていたんだ。取り巻く人間どもの中で、敵のいないリングの中で、マイクは孤独に泣いていたんだ。だからおれはマイクを守ってやろうとしたんだ。ただそれだけなんだ。それなのに、みんなおれのことを悪魔呼ばわりしやがって」

「そうカッカしなさんな。人のことをああだこうだ言うだけの奴なんてなぁ自分じゃなんにもできやしねえんだからよ。お前さんは目のつけどころがいいや。頭もいいし度胸もいい。おかげでおれもおこぼれにあずかれるってわけだ」

「だったら言葉をつつしめ、悪党」

 前方に迫るホテル群を睨みながら、キングはくわえた葉巻を深く吸い込んだ。

「ところで、どちらへお連れすりゃいいんだい、ドン・キングの旦那」


 
 おどけて尋ねるブレイヴァマンに、キングはホテル・マンダレイベイにある中華料理店を指示した。

「あしたはロイ・ジョーンズの試合だ。ネバダのコミッションの連中をランチに招待している。2時間ばかり店を貸し切ってな」

「あいかわらず抜け目がねえこった」

「奴らはおれの言いなりだから招待するにゃ及ばねえんだが、2、3人新しい野郎が加わったっていうからな。まあご愛嬌だ」

「それにしてもよ、あんたほどの力がありゃ、もうちっと人を集めてうまいことやりゃあ、あっちこっち飛び回らなくても、手広く商売ができて、もっと儲けられそうなもんだがな」

「おれに手を貸してくれるのはお前とカールだけで充分だ。人間なんて所詮、信用ならねえ。嘘をついちゃあ裏切りやがる。よかれと思ってやったことがアダんなって返ってくる。そんなこたぁ、数当て賭博のころから百も承知よ。人間には、なまじ物を言う口ってのがあるのがいけねえんだ。その口でデマカセを並べちゃあ、ろくに働きもしねえで、いざとなりゃ勝手なことばかりしやがる。なにひとつ行動しねえで遊びほうけていやがる。意味もなく人を差別しちゃあ、後ろ指をさしやがる。怠けているくせに偉そうなことをぬかしやがる。裏切ったくせに正義づらして喚きたてやがる。そんな奴らのいいようにはさせやしねえ。それにはカネだ。なにをおいてもカネだ。カネだけあればいい。カネの力でおれはどんな奴でも黙らしてきた。これからもずっと黙らしてやる。黙らして、がんじがらめにして、ここぞというときに踊らしてやる」

「うまいこといったよな。ボクシングにメディアがくっついて、でかい山がいくつも作れたもんな」

「でかい山を作って、その山を動かしてきたのはおれだ」

「ごもっとも、ごもっとも」

「でかい山だからといって人を信用してアテにするとな、そのでかい山を崩されるんだ。山なんてなぁ外から崩すより内から崩すのがたやすいんだ。山を崩されて、あとにちっぽけな丘を作ったって面白くもなんともねえが、事はそれだけじゃすまねえ。人間なんてウカツに信じるとな、墓穴掘って泣くのはてめえなんだ」

「小細工も上手だもんな」

「小細工、根性、こけおどし。成功への3Kだ。Kは汚いじゃないぞ。“KEY”のKだ」

「だけどよ、おれが一番感心したのはよ、『リング年鑑』の改竄だな」

 ブレイヴァマンは、してやったりという顔をした。

『リング年鑑』とは、ボクシングのレコード・ブックである。新旧の世界王者の戦績はもとより世界各国の主要選手の戦績、記録を集大成した、ボクシングに携わる者にとっての、いわばバイブルである。年々膨張し、ついに廃刊になったが、類似したものはさらに大部になって今でも刊行されている。

「ランキングを操作したりよ、おりこうさんのジャッジやレフェリーを集めるってのは、まあ分かるんだけど、あんな分厚い本の、ぎっしり詰まった細けえ数字をよ、あんなもの、よっぽどの物好きかマニアしか見ねえぜ。あそこまでやるかって。おんなじボクサーなのに去年と今年じゃ記録が違うんだからな。そうそう気がつきゃしねえよ。世界タイトルに挑戦させようっていうボクサーの記録がよ、去年の年鑑じゃ負けが3つも4つもあるのによ、今年の年鑑じゃ無敗のホープってことになってんだからな。まわさなくてもいい奴まで敵にまわしかねないことをやってのけるんだからな。こんなことをファンやマニアが知ったら怒るぜ」

「怒りたきゃ怒れよ。怒って怒って、気がすむまでほざきゃいいさ。いいか、ボクサーってのは商品なんだ。その商品を高く売るにゃ、あらゆる方面に手を尽くして値打ちを上げてやらなきゃならねえ。ハクをつけて高値で取引しなくちゃならねえ。それもおれの役どころだ。戦績の一つや二つ、いじったって構やしねえんだ。考えてもみろ、無敗のボクサーと負けがこんでるボクサーとだったら、どっちがいいか。KO勝ちの多いボクサーとそうでないのと、どっちがいいか。客はどっちを選ぶか、マスコミはどっちを選ぶか、スポンサーはどっちを選ぶか」

「そりゃ強そうなほうが面白かろうよな」

「実力なんてなあ、どうでもいいんだよ。あってないようなもんだ。大事なのはどうすりゃ客が一番喜ぶかってことだ。客が喜ぶってことは注目されるってことだ、注目されるってのはカネが集まるってことだ。試合なんてあっけなく終ったってかまやしねえんだ。そこにいくまでにどれだけのカネを動かせるかだ。より多くの札ビラが舞う試合を決めちまえばそれでいいんだ」

「だけどよ、見かけをつくろってリングに上げてもよ、力の差がありすぎたらシラけちまうじゃねえか」

「お前、まだ分かってねえのか。プロボクシングってのは勝ち負けを競う崇高なスポーツじゃねえんだ。小むずかしい面して鑑賞する芸術じゃねえし、人生の縮図なんかでも、もちろんねえ。そんなこたぁ、くちばしの青い奴らの役回りだ。いいか、プロボクシングってのはな、その場かぎり、わっと騒いで終わる娯楽なんだぜ。おれはその企画を次々練っては提供する興行主なんだ。世間をあっと言わせる、ど派手な演出をして、たんまりカネを手に入れる、すこぶる腕のいいプロモーターなんだ。あとにもさきにも黒人で唯一成功したプロモーターなんだ。評論家やファンじゃねえんだ!」

「……」

「試合の当りはずれなんてどうってことはねえ。お気に召さなかったら、またやればいいんだ。カネが飛んでくるなら何度だってやってやるよ。ビジネスとして、あとさき考えてな、おれが勝たせたいと思うほうを勝たせることだって出来るんだ。簡単なことだ」

 ブレイヴァマンはだまって聞いた。

「だけどな、気をつけなきゃならねえのは、ボクサーに入れ込んじゃいけねえってことだ。すぐにつけあがるからな。自分ひとりでビッグになったと思い上がるからな。どんなに強かろうと、そんなもなぁリングの中だけの話だ。リングに上がることができなきゃ話にならねえんだ。誰のおかげでリングに立てると思ってるのか、ちょっと名前が売れてくると忘れちまう。ちやほやされて舞い上がっちまう。おれはな、ボクシングやボクサーなんかに興味はねえんだ。鍛え抜かれた肉体だの、磨き上げられた技だの、高貴な心だの勇気だの根性だの、そんなものはどうでもいいんだ。入るものさえきちんと入ればそれでいいんだ。入るものをどれだけ大きくするか、それだけのことだ。ボクシングは徹頭徹尾ビジネスだ。ボブ・アラムだってドナルド・トランプだってスティーブ・ウィンだって、人前じゃあ調子のいいことをぬかしているが、同じ腹だぜ。もっとも、奴らのほうがよっぽど中は黒いけどな」

「プロボクシングってのは、えらい旨みのある商売だよな。あんたにゃ打ってつけだ」

「そうさ。よその国じゃおよそできねえ、アメリカなればこそだ」

「天職たぁ、このことだな」

「おれにしかできねえ仕事だ。そこいらの連中がつべこべ口を挟めるようなヤワな世界じゃねえんだ」

* * * * *

 クルマは金色の高層ホテルへ到着した。

 キングが手がける試合は、あしたこのホテルのイベントセンターにしつらえたリングで行われる。王者ロイ・ジョーンズにアントニオ・ターバーが挑む、世界ライトヘビー級タイトルマッチである。

 両者は半年前に対戦し、ジョーンズが判定勝ちで王座を奪っていた。

 ロイ・ジョーンズは無類の強さでここ10年、世界のプロボクシングを牽引してきたボクサーの一人である。その印象が色濃かったのか、前の試合ではアントニオ・ターバーに分があったと見る向きが多かったが、ジャッジはジョーンズを支持した。そんな因縁がからみ、試合の前評判は上々だった。


 
 試合を控えて、そのロビーは数日前からボクシングムード一色だった。実際に選手が身につけたガウンやトランクス、グラブ、シューズが展示され、売店にはさまざまなボクシング・グッズが並んでいた。ひときわ目を惹くのは、高さ5メートル幅4メートルの真っ赤なグラブのオブジェだった。でんと置かれた、その前では訪れる客が引きも切らず記念撮影を行い、ロビーは終始華やいだ雰囲気に包まれていた。

 正面ロビーにクルマをつけようとしたブレイヴァマンに、キングは地下駐車場を指示した。

 舞台の袖で出番を待つ役者のように、キングは急に無口になった。駐車場へ向かうスロープで、車中にいながらキングは、気心の知れたブレイヴァマンへいったんの決別をしていた。

 クルマから降りたキングは、ブレイヴァマンには見向きもせず、足早に従業員専用口へ消えていった。遠ざかる靴音とともに、その後姿を悪党面で見送ってから、ブレイヴァマンはアクセルを踏み込んだ。

 あしたも頼むぜ、キングの旦那よ。ジョーンズとターバー、どっちが勝つのか知らねえが、どっちが勝っても同じこと。小旗を振って、お決まりのリング上、ブーイングなんぞなんのその、逆立つ髪にタキシード、倒れた敗者を跨いで越して、急げよ急げ王者の隣、にこにこ笑って手をあげて、よく見りゃその目は笑っちゃいないが、大好きなカネをがっぽりがっぽり稼いでくれよ。

 あんたが死んだら、なんて縁起でもねえが、あんたももう70を過ぎてんだからな、いつどうなるか、そうそう不死身じゃいられねえ年になってんだからさ、それでもまあしばらくは大丈夫だろうが、もしも、もしもよ、あんたが或る日、冷たくなったらよ、いろんなことが露見するだろうけどよ、いろんな非難がとびかうかもしれねえけどよ、それもいっとき、犬の糞。

 あんたが死んだら、そこから遡った30年40年は善かれ悪しかれ、ドン・キングの時代だったと、きっと言われるぜ。そうだ、そしたらよ、大金持ちのあんたがこの世で喉から手が出るほど欲しくて欲しくてたまらなくて、とうとう手に入れることができなかったものがようやくつかめるかもしれねえ。名誉っていう二束三文の勲章がよ。そのときまで、からだ大事に、まだまだ稼いでくれよ。

つづく



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