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■妄想家・夏野澤夫の架空小説 〜ばかばかしいけど、真剣!〜■

あの「世界的プロモーター」の、ある1日
旦那様はドン・キング


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

第2章
第3章 ★ カネ持ちあるじ

 キングは袖机の抽斗から「マグナムUSO 800」と名づけたピストルを取り出した。精巧にできた玩具である。

 金庫には未登録のマグナムが3丁眠っているが、もう護身や脅しに使うこともないだろう。ましてや人殺しなんぞにおのれの手をよごすこともない。マフィアには充分な上納金を払いつづけてきたし、イスラムの連中の目つきが気になることはあるが、保身は完璧のはずだ。なんぴともおれに危害を加えることは出来ない。

 カネはふんだんにある。国内はもとより、プエルトリコ、ジャマイカ、パナマ、そのほかジャーナリズムに嗅ぎつかれていない国にも銀行口座をもっている。いずれの貸金庫にも溢れんばかりのカネが眠っている。いいや、眠っているんじゃない、“出番”を待っているのだ。

 現ナマをちらつかせれば誰でも落ちる。

“カネなんぞで動くものか”なんて息巻く奴ほどカネで動くものだ。自尊心をくすぐり、義侠心をつっつく文句を並べながら、ゼロひとつ多い金額を提示すれば誰だって飼いならすことができる。

 もっとも、額面通りのカネはやらんがな。だいいち100万ドルの小切手がどんなものか、そこいらの奴らには分からない。ボクサーなら尚更だ。それよりも5,000、10,000の札ビラをちらちらさせれば、どんなボクサーだってたちどころに色めきたつ。せいぜい10,000ドルのハシタガネで話がつく。ちょろいもんよ。目先のカネで契約書にサインさせて万事おわり、こっちのもんだ。その紙きれも細工はさせてもらうがな。

 だからといって、あとでガタガタ騒いだところで痛くも痒くもない。裁判沙汰なぞどこ吹く風だ。まわらない舌で好きなだけ吠えて騒げばいい。マスコミも一緒ンなって騒ぎ立てるが、奴らは移り気だからな。騒ぎがおさまれば、言いだしっぺのほうから勝手に訴えを取り下げる。これまたちょろいもんよ。百に一つ、気が向いたら1,000ドルでも5,000ドルでもくれてやって、和解してやるのも愉快なものだ。そんなつもりじゃなかった、悪気はなかったんだ、なんて殊勝顔でも拵(こしら)えてな。あくまでも気が向いたら、だがな・・・。

 おれのカネとそこいらの奴らのカネとはカネが違うんだ。おれのカネは常に新しいカネを生み、それがさらなるカネを生む。おれのカネは増幅運動を繰り返し、ついには森羅万象を動かすのだ。

 カネがあれば山をも動かすことができる! おれが常々言うのはそういうわけだ。その真理をおれは身をもって知っている。

 おもちゃのピストルを抽斗にしまいながら、キングは、いつだったか、遠い昔、ジョナサンが口応えをしたことをふと思い出した。


 
 キングが契約によりヘビー級の世界ランカーをほぼ傘下におさめたのは1980年頃のことだった。

 人気者のモハメド・アリは事実上引退していた。アリの衣鉢を継ぐボクサーはキングの前には現れていなかった。ヘビー級よりも軽いウェルター級というクラスにはシュガー・レイ・レナードという華やかなボクサーが登場していて、アリなきあとのプロボクシングへの世間の注目は、レナードを中心にした中量級へと移っていた。キングはレナードへ取り入ることはできなかったが、最重量のヘビー級ボクサーを掌握することで自在な興行をかさねていた。

 ほろ酔い機嫌で帰宅したキングは、出迎えたジョナサンに毛皮のコートをぶんなげた。ジョナサンはコートもろとも尻餅をついた。純白のミンクに押しつぶされた姿はあたかも雪に埋もれた遭難者だった。仰天する給仕を見下ろして、キングは言い放った。

「カネがあればなんでもできるぞ、山だってたちどころに動かすことができるんだ。わかるか」

 得意満面のキングに、いつものように左様でございますと相槌を打つはずの給仕が、何を思ったか、そのときばかりは遠慮しいしい、ものを言った。

「旦那様、山を動かすのは…」

「カネだ。カネ、カネ、カネ、カネの力だ!」

「いえ、あの、おカネじゃなくて、あの、その…」

「なんだ、山を動かすのはカネじゃないのか、え? ジョナサンよ」

「いえ、あの、ですから、その…」

「なんだなんだ、はっきりモノを言え、聞いてやるぞ」

「はい、いえ、あの」

「どうしたジョナサン、お前、なんだか悪い夢を見たような顔をしているぞ」

「は、いえ、あの、ですから、その…山を動かすのは、旦那様、歌とか言葉とか、そういったもの…」

「なにぃ? ジョナサン、お前、今なんて言った!?」

 鼻で笑って、キングは小馬鹿にした顔でジョナサンを見た。

「いえ、ですから、山を動かすには力はいらない、心に響く歌や言葉こそが、いえ、これはわたくしが申し上げているんじゃなくて…」

「誰がぬかしているんだ、そんな絵空事」

 コートを抱えて倒れこんだまま、ジョナサンは唇を震わせていた。身長190センチのキングの巨体は、見上げているせいか、いつにもまして大きく映ったが、意を決したジョナサンは天に唾する覚悟で言葉を継いだ。

「いえ、あの、ですから、たいそう昔の…あの、その、日本人が、たぶんそのようなことを、あの、申しているそうで、それで、あの、いつか旦那様にそのことを申し上げて、それで、あの…」

「日本人? おいジョナサン。日本ってどこにあるか知ってるのか? 地図を見てみろ。アジアのかさぶたみたいな、ちっぽけな国だ。金持ちの国には違いないが、その金はすべて死に金だ。本当の金の使い方を奴らは知らん。そんなちっぽけな国の、ちっぽけな人間の、ちっぽけな思いつきにかぶれてる暇があったらな…」

 キングは視線をはずして、たまたまそばに転がっていた書物に手をのばした。

「これを読め」

 そう言って、『黒人の若者を破壊する陰謀に、いかにして立ち向かうか』と題された一冊の本を投げ与えた。

「これは優秀なボクサーに限って、おれが渡している優れた本だ。お前ごときが本来手にするものではないが、今日は気分がいい、特別に見せてやる。ソクラテスもショーペンハウエルもシェークスピアも及ばぬ、不変の法則が説かれている。これを繰り返し読んでから、まだ言いたいことがあるなら言いにこい。遠慮は無用だ。おれのことを“人の話に耳を貸さない”なんてブツブツ文句を言う奴がいるが、なこたぁねえ。おれはな、ジョナサン。ほんとはいつだって人を選ばず、よーく人の話を聞く性質なんだ。ガキの頃から変わらねえ性質だ。だから安心しろ。カモン・ベイビー、耳の孔も鼻の孔も、ケツの孔までかっぽじって、よーく聞いてやるぞ」

 コートを抱えて震えているジョナサンに、その見据えたまなざしを和らげて、キングは続けた。

「なあジョナサン、おれはお前の少女趣味を愛しているぜ」

 ご機嫌な顔に悪意の笑いをまぶして、キングはセントルイス・ブルースを口ずさみながら、傍らをゆき過ぎた。

 白人陰謀説を累々と記すこの本をジョナサンは給仕の合間をぬって、片言隻句も漏らさず読んだ。砂を噛むような思いをこらえ、三日三晩かかってようやく読み終えたときには、頭の中がざらざらしたような感覚におそわれて、主人にはもう言いたいこともなくなっていた。

つづく



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