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◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「た、たいへんだボブ、旦那様が、旦那様がおかんむりだ。すぐに旦那様のところへ行け」
「何をそんなに慌てているんだ。言われなくったって、いま行くところだよ」
「すぐに行くんだ。でないとボブ、お前…」
肩で息をしながら、ジョナサンは右手で自分の首を切る仕種をして、解雇されることを暗示した。
「そんなにあわてなさんな。はったりと脅しは旦那のオハコじゃないか。それでもクビならクビで構やしないけどさ、そんなことより腹が痛くてどうにもたまらん」
「お前、夜中にコンビニのゴミ箱をあさってるのか」
「バカ言え。夜中にこの屋敷をぬけて外へ行けるわけねえだろ。監視カメラがいくつあると思ってんだ。鼠一匹這い出せやしねえ。すぐに警備の連中がやってくるぜ。下手をすりゃ、姿はねえが、旦那を守っているヒットマンにその場で撃ち殺されるぜ。そうなりゃ死人に口なしだ、ありもしねえ罪をおっかぶされて、罪人のままあの世ゆきだ。おんなじ死ぬんでもよ、せめて最期ぐれえ、ちったぁサマになりてえよ」
「たしかに、言われてみればそうだ」
「おお腹がいてえ」
「大丈夫かボブ。いったいどうしたんだ」
「おれにだってわからねえ。ゆうべのパーティー、白人の陪審員たちを集めて盛大にやってたろ」
「あれはわたしが仕切ったが、それがどうかしたか」
「あのあと、お前さんとK-1のビデオ見て、それでもって寝ようとしたんだが、小腹がすいちまって、夜中にキッチンのゴミ箱ン中をつまんだんだが」
「えッ、お前、あのゴミ箱を」
「暗くてよく分らなかったんだが、いつものことだろ、おれにとっちゃ、ごちそうだ」
「お前、ほんとにそんなことしたのか」
「したよ」
「ほんとか」
「ああ」
「ばかだなあ。ゆうべの客はひどいもんさ。わずかの酒に浮かれて、煙草の吸殻やら痰やら、平気で皿に吐き出しやがるんだ。どれだけ偉いか知らないけど、マナーもなにもあったもんじゃない。料理を作ってこんな情ないことはなかった」
「うぇッ…。じゃ、なにかい、吸殻だの痰だのが残飯に混じってたのか?」
「ヨダレやはなみずなんかもあったな」
ボブは喉と下腹をおさえて低く唸った。
「旦那様、遅くなりまして申し訳ねえでごぜえます」
ドアの向こうからボブの声がしたとき、キングは書斎の姿見を前にして、特注のムースでもう一度白髪を逆立てていた。
「ボブか」
「へえ」
「お前、下痢ピーか」
「へえ」
「馬鹿野郎。食い意地ばっかり張りやがるからだ。いいか、おれの言う通りに動けないならいつでも出ていってもらうぞ。おれは24時間働いてるんだ。1秒たりとも無駄にしたくないんだ。お前ごとき奴のために時間を狂わせられてたまるか。いいか、自分の立場をよーく考えろ」
「へい、ほんに申し訳ねえでごぜえます」
「ふざけた真似をするんじゃねえ」
「へい、ほんに申し訳ねえでごぜえます」
ボブは心ここにあらず、ごろごろ鳴る腹をさすりながらドア越しのキングの小言に、通りいっぺん詫びていた。「明日は試合だ」
「へい、承知してるでごぜえます」
「腹を下してる暇なんかねえんだぞ」
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「明日の試合はロイ・ジョーンズと、あー、誰だっけ」
「アントニオ・ターバー、でごぜえますか」
「ターバー? おおそうだ、ターバーだターバー。ターバー、ターバーと何度も繰り返すとバターになるが、バターじゃないぞ、ターバーだ、いいか、よく覚えておけ。間違えるな」
「へい、再戦でごぜえますな」
「サイセン? チャリンと投げ入れるやつか」
「それは旦那様、お賽銭でごぜえます。再戦……リターンマッチでげす」
「わかっておるわ、試合にはビッグマネーが音を立てて乱れ飛ぶことを遠まわしに言ってみただけだ。いいか、いつものように試合開始3時間前に会場へクルマをつけて待っていろ。地下2階、いつものところだ。守衛は承知している。係りの奴らにも話はつけてある。クルマは黒のリムジン、あれでいい」
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「ぬかるなよ」
「へい」
「しくじったら、わかってるだろな。お前に明日はない」
「旦那様、あっしは運転にかけちゃあ、誰にも負けねえ。今までだって、ただの一度も失敗したことはねえでごぜえます。体の具合が悪くっても、気がかりなことがあっても、ハンドルを握ればあっしは、わずらいがぴたりと止んで…」
「うるさい。お前の講釈なんぞ聞きたくもない」
「へい、申し訳ねえで」
「いいか、チャンピオンが勝ったら、お前はそのまま帰れ、用はない。挑戦者が勝ったら、いいな、わかってるな?」
「へい」
「そやつを連れて行くからな。おれはいつだってチャンピオンと一緒に帰るんだ。準備万端、怠るな」
「へい」
「ナリはちゃんとしておけよ」
「へい」
「小綺麗にしておけよ、きちんとした恰好をしておけよ」
「へい」
「余計な口は利くんじゃねえぞ」
「へい」
「よし、さがれ」
「へい」
ボブはドアに一礼してから、こころもち首をかたむけた。ぶよぶよの下腹に手をあてがい、右に左に体をかしげながら、長い廊下をゆらりゆらりさがっていった。
→ つづく