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99年10月以来の再戦。当時、ぜひこのファイトに行きたいと思っていたが、仕事が忙しくてあきらめた経緯があった。だから今度こそはという思いが強かった。当初は10月開催予定だったのが、何度も延期になっていた。11月から12月、一時は北朝鮮のピョンヤン開催の計画も浮上したくらい(これは困難という判断でさらに翌年まで延期になった)。 それまで延期になるたび、その日に合わせて航空券を予約しようとしたが、連休に重なっていたりしたため、いずれにしても行けなかったのだ。考えを変えて新幹線で博多(福岡)まで行き、フェリーでプサンへ渡り、鉄道でソウルまで行こうととも思ったが、あまりにも時間がかかるのでこれも断念した。 1月30日は火曜日だったので、前日の出発であれば航空券の予約が可能だった。イチかバチか行ってみる決断を下した。実に、ラスベガスから帰ってソウル出発まで一週間という、実に慌ただしい決断だった。 試合が開催されるかどうか定かでないまま飛び立ったので、いつもよりさらに不安であった。金甫空港に到着後、たまたまイスにあった新聞を広げてみても、ボクシング関連の記事は載っていなかった。観光案内所で前回隣席だったレフェリーにもらったKBCの封筒を見せて問い合わせるてもらった。電話しているスタッフの表情からなんとか状況を探ろうとしたが、好感触ではなさそうだった。受話器を置いたスタッフの回答を聞き漏らすまいと、耳を傾けた。結果、電話番号が新しくなったので電話し直すようだった。またもや表情をうかがうが、何も得られなかった。 こういった待ち時間は長い。再び受話器を置くと、またもや電話し始めた。状況を把握できないまま待っていると、突然受話器を自分に渡すので驚いた。ハングル語は話せないと説明すると、相手は日本語を話すので大丈夫だと言うのだ。おそるおそる話しかけると、第一声が「私、プロモーターの李といいます」だった。 ちょうど、調印式と計量が終ったところで、翌日たしかに試合が開催されると聞いて、とにかく安心した。 会場は漢江南にある高速バスターミナルの近く「セントラルシティ」だと教えてもらった。チケットを用意しておくので、当日会場に着いたら携帯電話に連絡する約束で受話器を置いた。スタッフにお礼を言い、軽い足取りで市内に向かうべく地下鉄の駅へ向かった。今回はあらかじめ調べておいた鐘路区の「勇進旅館」に泊まった。 その夜、試合と共にもう一つの目的を果たすべく外出した。それは、98年に初めてソウルを訪れた時、試合会場でもあったヒルトンホテルのユウさんに、チケットを用意してもらったお礼を何としても言っておきたかったのである。 1月の寒さの中、雪で足を滑らせながら、ヒルトンホテルまで歩いた。早速、コンシェルジュにユウさんの名刺を見せ所在を聞くと、残念ながら不在。しかし、食事で外出しただけなので一時間後に戻って来るらしかった。また改めてその頃に来ると伝えてホテルを後にした。東大門市場の辺りをぶらぶら歩いて時間を潰して再びヒルトンホテルに行ったが、ユウさんはまだ帰って来ていないようだったので、こんどは中で待たせてもらう事にした。どのくらい待っただろうか。少しウトウトし始めた頃、懐かしいユウさんの顔が見えた。スタッフから、“友達”が訪ねて来ていると聞かされて急いで帰って来たそうだ。 最初は忘れていたようだったが、ボクシングの件をきり出すと、少しずつ思い出してくれたようだった。少し話した後、目的を果たせたので、長居をすると迷惑と思い最後のあいさつをすると、いつかヒルトンに泊まる機会があれば3割引きにしてくれると言っていた。とは言っても一泊3万もするのだから、あまり現実的でなかった。3割引じゃなく、3割にしてもらってもまだ自分には高価なくらいだ。何せ今回の「勇進旅館」は約2600円だったのだから…。 翌日、試合は夕方だったので、午前中独立門と、すぐ近くにある戦時中旧日本軍が使っていた刑務所に行ってみることにした。歴史の勉強にと思ったのだ(そんなガラじゃないけど)。 日本人と分かると一人の年配ボランティアの方が日本語で案内してくれた。何でもここは、あの網走刑務所と同じ人による設計らしい。 実際に入って見るとあまりにも残酷な光景ばかりで驚いた。広島生まれの自分は小さい頃から原爆教育でいろんな光景を見せられてきたが、ここも信じ難い光景だった。再現された拷問のシーン、犠牲になった人達の数々の写真といい、同じ人間が行ったこととは思えない場面の連続であった。 案内してくれた年配の方も、日本人である自分に説明する胸中は計り知れないほどの辛い思いがあっただろう。まわりにはたくさんの子供がいたのだが、日本が昔やってきたことへの教育が徹底しているのだと感じた。最後に案内されたのが、所内の片隅のへいに囲まれひっそりとした建物だった。 絞首刑場だった。ロープに床を開くためのレバー、死亡を確認する医師が座るイスなど、生々しかった。塀を挟んで2本の木が立っていた。外側のは太い木だったが、内側の木は細くやせた木だった。説明では、内側の木は、ここで処刑された人達の怨然がここに集まって、こんなに細くなってしまった、とのこと…。 一度旅館に戻った後、地下鉄で高速バスターミナルに向かった。「セントラルシティ」はデパートというか、ショッピングモールのようだった。会場はそのビルの階上にあった。 携帯電話に連絡後、会場入口で李さんは待っていてくれた。チケットを受け取り、中に入ると既にかなりの人で埋まっていた。とは言っても規模的には後楽園ホールより少し小さかっただろうか。前座では暫定王者カサマヨルに敗れタイトルを失った白鐘権が出場していた。やはり世界タイトルマッチとなると、どの国で観ても緊張する。 チャンピオンベルトをかかげるトレーナーの後をスポットライト浴びながら入場するチャンピオン。対照的に野次を浴びながら静かに入場する挑戦者。厳粛な国歌斉唱。選手紹介。続いて両者をリング中央に集めてのレフェリーからの注意。第1戦は12R判定だったが、今回は、7R我慢に我慢して耐えていたタイからの挑戦者を左ストレートをヒットさせたチャンピオンのKO勝利であった。試合後、リングの中央で通称「パルパルママ」と抱きあって喜んでいる姿が印象的だった。最後に李さんにお礼を言って会場を後にした。 帰りながら崔尭三の試合が韓国であるならば再び観に来たいとまた思った。噂では次の防衛戦はメキシカンとの指名試合だったから、なおさらであった…。 翌日、帰国便のフライトでは奥さんと一緒のジョー小泉さんと同じであった。通路を挟んで右側一列前だったのには少々驚いた。会場で関係者に挨拶して回る姿は見かけたが、こういう偶然もあるものだ。帰国後、電話で友人にこの試合を観に行ってきたと明かすと、みんな一様に驚いていた。極秘行動だったから…。
一回りした後、そこの職員たちと一緒に昼食に行った。庶民向けの定食屋で、何と言ってもプルコギがおいしかった。おいしかったが、見て回った光景が目に焼きつき、帰りは重たい気分だった。それほど強烈だった。