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■『あしたのボクシング』三好秀樹の怪遊記【24】■

2000年10月21日@サロン21(メキシコ・メキシコシティ)

WBCミニマム級タイトルマッチ
ホゼ・アントニオ・アギーレ vs エルデン・チュルン

 この試合は年に一度開催される総会のイベントとして行われた。開催地は、WBCの本部があるメキシコシティである。もちろん、自分は招待されて行ったわけではありません。

 ロサンゼルスに一度入国し、メキシコシティ行きのゲートに行ってみると、隣りのゲートは成田行の便で、日本人でごった返していた。みんな楽しんで満足している表情と普段の生活に戻るという表情が入り混じっていた。

 メキシコシティ到着前に入国カードが配られた。出発前に準備よく記入例をコピーしていたのだが、実際のはフォーマットが新しくなっており、困った。英語も併記されていたのが幸いであった。こういう情報は迅速に流してほしい…。

 パスポートに入国スタンプを押され、最後は関税だった。列の前方を見ると、何やら赤、青ランプの付いた一見、信号機のような物が設置されていた。どうやらボタンを押して、赤ランプが点灯した客には荷物検査をしているようだった。何事も無く通過したいと思うのが人の心理である。青ランプで自分は通過できラッキーと思ったが、あまり赤ランプが点灯しているようにも見えなかった。

 勤務先で同じ部署に来ていた派遣の人にも、決して治安は良くないと聞いていたので不安だった。空港の外にある地下鉄の階段では、手を差し出して通りゆく人に施しを求めている人がたくさん座っていた。老婆から子供まで様々…。ニューヨークやシカゴの地下鉄も恐かったが、メキシコシティでも神経過敏になった。車内にいるみんなに、何かをされるように感じたのだ。

 宿泊先は、あらかじめ調べておいたホテルへ向かった。宿泊客のほとんどが日本人ということで安心と思ったからだ。その上そこで暮らしている日本人もいたし、スタッフも日本語を話していた。おばさんスタッフに試合会場の場所を聞くと、街の西はずれのポランコ地区にあると教えてくれた。

 地図を見ると、一番近い地下鉄駅からでもかなりの距離がある印象を受けた。翌朝、一緒に朝食をとっていた宿泊客の中にボクシングを観に来た自分に興味を持つ人がいた。少し話した後、その彼は郊外にあるティオティワカン遺跡へ日帰りで出かけて行った。自分も午前中に会場「サロン21」へ当日券を買いに出かけた。

 ポランコ地区近くまで地下鉄で行き、そこからは方向を間違えないよう注意しながら歩き始めた。途中バスドライバーや通行人、花屋の青年に確認しながら目的地を探した。歩く事40分程だったろうか。「ディレクTV」の車が止まっている建物に「サロン21」の看板が目に入った。

 窓口へ行ってチケット代を聞くと、日本円換算で約15,000円だった。一瞬返す言葉を失ってしまった。なぜなら、所持金をオーバーした金額だったからだ。窓口の人には、ホテルへ戻って改めて来ると告げたものの、お金のあてがあるはずもない。

 考えているうち、道にも迷ってしまった。街の人に聞いて、何とか駅まで行き、ホテルへ帰った。状況をおばさんスタッフに相談すると言われたものだ。「あんた海外旅行するのに、15,000円くらいしか持って来ていないの?」と。

 地下鉄が数十円。宿泊費も一泊700円くらいという特価だというのに、ボクシングのチケット代が15,000円もするとは予想もしなかった。その後ベッドに横になり、ボー然としながら天井で回るファンを見つめていた。見つめながら自問自答していた。「メキシコシティまで来て自分は一体何をしているのだろう?」と。

 市内観光にも行きたい所はあったが、そんな気にはとてもなれなかった。そうしているうちにある考えが浮かんだ。地下鉄の駅へ向かった。「クリスタル・ロッサ」ホテルは駅から歩いて5〜6分のところ。

 このホテルのはずだった。メキシコシティ行きのゲートで搭乗開始を待つ間、少しだが言葉を交わした「杉山」さん。フロントで部屋を教えてもらいノックしたが返事がなかった。残念ながら外出中だった。ただひたすら回りつづけるファンを見ているより、ダメ元でお金をかしてもらえることを期待したが、はかない結果だった。

 あきらめて、重い足取りでホテルに戻った。どこの地下鉄でも階段に座り込んで施しを求める人たちがいた。自分はボクシングのチケットを買う金が足りなくて困っていたのだが、この人たちはその日の食べ物を買う金に困っているのだと気付くと、何とも言えない気持ちだった。

 ホテルに着いても現状打破の策は思いつかず、どんどん時間が過ぎるばかりだった。夕方になって、朝自分の話に興味を示した彼が、遺跡観光から帰って来た。いきさつを説明すると、あまりにもうちひしがれている自分を哀れんでか、50ドルだったら貸してもいいと助けの手を差し伸べてくれた。

 巡り合わせとはいえ、初対面なのに親切な人もいるものだと心から感謝した。しかしまだ解決せねばならない問題があった。ペソへの換金である。疲れていたにもかかわらず、彼も銀行まで付き合ってくれた。

 ところが土曜日の夕方という時間帯のためか、どこの銀行、換金所も閉店していた。あせる気持ちと共に時間も迫っていたので決断した。換金出来ない以上、ドルのまま持って会場へ行ってみるしかない。

 急いで会場の窓口へ行き、応対してくれた若手のスタッフに説明した。ペソがこれだけと50ドルしか持っていないと…。しかし、ペソでなければ売れないとの回答だった。予想していたとはいえ、ガックリした。

 このやりとりを少し奥で聞いていた年配のスタッフがやってきて、若手のスタッフと何やらスペイン語で話していた。状況を見守っていると、年配スタッフがおもむろに脇にあった電卓を手に取り、カチャカチャと計算を始め出した。ショック状態のまま年配スタッフの説明を聞いた。


「今日のレートで50ドルは○○ペソだから、残りの差額をペソで払えばチケット売ってもよい」という。急転直下、逆転HR一発という感じだった。この人も自分を見て哀れに思ったのだろうが、話せば分かってくれるものだ。

 受け取ったチケットに少し驚かされた。今までは全て紙に印刷されたものだったが、この時は、プラスチック製のクレジットカードを思わせるチケットだったのだ。

 開場まで時間があったので表で待っていると、またもや大ピンチに見舞われた。チケットが買えた安心から、緊張の糸が切れたのか、突然トイレに行きたくなった。が、トイレのありそうな公共施設や店も近くに見当たらない。

 焦りに焦り、額に汗がにじんできた。会場の周りを歩いていると横手に関係者用入口らしき所があり、近くに立っていた人に聞いた。というか聞こうとしたのだが英語が通じず、スペイン語の「トイレ」も覚えていなかったので、本当に困った。

 そこで恥も外聞もなく思わず指でチャックを示すと、すぐに理解してもらえた。教えられたその入口を入って行くと、ロングドレスを着た女性が何人も歩いていた。関係者も服を着替えていたり、蝶ネクタイをしめている人もいたり、まさにこれから始まるイベントの舞台裏の奥にトイレはあった。

 すっきりした後、みんなに「グラシアス」とお礼を言って出た。

 日が暮れ始めた頃には、たくさんの地元客が集まっていた。関係者らしき人たちも現われ始めていた。会場入口のドア付近でそれを見ていると、一台のタクシーから興行関係者らしき人が降りてくるのに気づいた。日本のジムの会長たちだったのだ。

 つい目と目があってしまったのだが、みなさん一同に、頭のてっぺんからつま先までなめるように怖い目で見られたものだ。「一体この日本人は何者なんだ?」といった疑いの目で…。

 ようやく開場し、ドレスを着た女性に案内され中に入ると、ダンスホールの様な雰囲気だった。驚いたのは中央に設置されているリングの回りを、ディナー用のテーブルが囲んでいた事だ。タイかどこかでの試合、似た様な光景を以前TVで見たが、自分にとっては初めての経験だった。

 女性にテーブルに案内されたが、チケットに記されている番号のテーブルが用意されていなかった。準備不足であったのだろう。確認してくると去っていったが、その後、彼女は戻って来なかった。残念であった。黒い髪のエキゾチックな美人だったからだ。

 待てども待てども彼女が戻って来ないので、別の女性スタッフに状況を説明すると、好きなテーブルを選んでよいとの答えだった。自分が座る予定だった場所だと、2階のテラス席を支える柱が邪魔でリングが見えづらかったので、もっとリング寄りのテーブルを選んだ。座って間もなく料理が運ばれてきた。その頃になるとかなり空腹だったが、うかつに食べて、請求書を持って来られても困るので、我慢した。それほど所持金の残りがわずかだったのだ。

 目の前にフランス料理があるのに手をつけられないのは、拷問だった。すると、隣りのテーブルにいるおばさんが、手で「食べなさいよ」といった仕草をしていた。不安だったので料理がチケット代に含まれているのかと聞いた。そのおばさんは英語を理解していたのかどうか怪しいものだが、うなずいていた。最後にはヤケクソになって食べてしまった。

 一皿目を食べ終えると、次々と運ばれてきたものだ。それに気付いたおばさんが手招きしてこっちのテーブルに来なさいと呼んでいたのでその場から移動した。席によってはリングに背を向けて座っている人もいたが、誰も文句を言っていなかったのは不思議な光景だった。それでもみんな陽気に楽しんでいた。国民性なのか。食事が進むうち、セミファイナルが始まった。モンゴルの挑戦者を迎えた地元出身のチャンピオン登場である。

 4R、挑戦者のいいパンチをもらったチャンピオンが、反撃してKO勝ちというファイトで地元ファンも盛り上がっていた。

 メインイベントは、スペインからやって来たチャンピオン。99年5月と12月にマドリッドへ観に行った時のチャンピオンである。挑戦者もスペイン人という珍しい対戦であったようだ。しかし実力差があり過ぎ、チャンピオンの一方的なKO勝ちに終わった。

 試合後、招待されていた有名な元世界チャンピオンを見かけた。

 近寄り難かった元世界ミドル級チャンピオンのマービン・ハグラー。お腹がでっぷりとでていた、4階級制覇のパナマの英雄、“石の拳”ロベルト・デュラン。「韓国の鷹」こと張正九。そして日本から、1R3分9秒KOで世界Sライト級チャンピオンになった浜田剛史、その他にも紹介されていたチャンピオンもいたと思う。壮観だった。

 会場「サロン21」を出たのは深夜近かった。地下鉄も終っていそうだったので、お金の心配はあったがタクシーで宿泊先に帰った。とりあえずタクシー代を払うことはできたが、ホテル代がなくなってしまい、またしても大ピンチ。とにかくまっ先に50ドルを貸してくれた彼にお礼を言いに行った。

 部屋に戻ると、まだ一人起きている人がいた。偶然とは不思議なものである。起きていた彼も自分と同じく翌朝帰国する予定だったのだ。最後の頼みの綱と思い状況を説明して、相談を持ちかけた。成田空港に到着後、CDで引き出して返金するという約束で、宿泊代と翌朝の空港までのタクシー代を借りることができた。その彼も初対面だというのに、親切な人だった。こんなに人から借金する旅も初めてであった。

 夜もだいぶ更けていたので、そのまま徹夜することにした。なぜなら一度寝ると、朝、起きられない不安が残っていたからである。二人で居間にいると、上階から一人の女性が降りて来た。おばさんスタッフに聞いたのか、どうやらボクシングを観に来た自分を知っているらしかった。

 彼女は、日本のあるプロレス雑誌に写真や記事を送っているジャーナリストだったのだ。そして次の発言にはギョウテンした。何と少し前まであのマルコ・アントニオ・バレラの彼女だったというのだ。バレラについて、いろんな話しを聞かせてもらったものだ。

 そして思ったのが、世界チャンピオン、バレラもただの普通のお兄さんという感じだった。一緒に聞いていた彼は、2人になったとき言っていた。「ただ自慢したかっただけだろ」と。自分にはそういう身近な話じたいが貴重だったので、気にならなかった。

 夜明け前にタクシーを呼んでもらい空港に着いた時は、まだ閑散としていた。経由地のロサンゼルス到着後、成田行きのゲートへ行ってみると、隣りがメキシコシティ行きだったのだ。往路で見かけた日本人の立場に、今度は自分が置かれていたのだ。現実の世界へ帰っていく…というさびし気な表情を自分もしてたんだろうと思う。


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