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■『あしたのボクシング』三好秀樹の怪遊記【16】■

1999年5月14日@リガネス ラ・キュビエルタ闘牛場(スペイン・マドリッド郊外)

WBC Sウェルター級タイトルマッチ
ハビエル・カスティジェホ vs ウンベルト・アランダ

 1月に、二十数年ぶりにスペインから世界チャンピオンが誕生した。最初で最後の機会と思いマドリッドへ行く計画を立てたが、仕事が忙しく断念した。ところが挑戦者が接戦を制し、初防衛戦もマドリッドで行われることになった。相手が全くどういう選手かも分からなかったので、このファイトに行く決心をした。

 航空券の予約後、しばらくして会社に電話があった。オーバーブッキングしていたので他の航空会社に変えてもらえないか、とのことだった。料金は同じにするという条件で、KLMから英国航空への変更を了承した。出発直前まで仕事が忙しく、疲れをひきずったまま経由地ロンドンに向かった。ヒースロー空港に着いた時には頭痛や背中の痛みがひどく、とにかく不安だった。

 スペイン・バラハス空港に到着したのは10時半も過ぎた頃だろうか。当初のKLMだったならば、とっくにホテルで横になっている時間だった。たまたま同じフライトだった年配の日本人と一緒になり、市内までタクシーに同乗して行った。その方は三十年程、ヨーロッパ各国全てを旅行したというツワ者だった。当時のソ連への入国は特に困難だったそうだ。

 その方の宿泊予定先のホテルで別れ、地図を頼りに深夜目的のホテルへ向かった。たどり着いたのはよかったが、既に玄関が閉まっており、困り果てた。その場で何処へ行くかを考えていると2人の女性がホテルに帰って来たので、事情を説明して中に入れてもらった。

 オーナー夫婦が親切そうな人で快く迎え入れてくれた。とにかく疲れていたのでシャワーを浴びてすぐに眠った。体調が不安だったが、翌朝にはほぼ回復していた。さっそく、ホテルから近くのマヨ−ル広場にある観光案内所に出かけた。

 女性スタッフに調べてもらったが、ボクシング興行は予定されていないとの回答で、少しずつ気が遠くなっていくのを感じた。長時間かけて、頭痛をおしてここまで来たのに一体自分は何をしているのだろうと思うと倒れそうだった。

 ようやく落ち着いてくると、この一ヶ所だけで「試合がない」と言われても納得いかない気分になった。別の案内所に行って、そこでもないと言われれば諦めようと思った。次にカノバス広場近くの案内所に入って同じ目的を告げると、おばさんが電話を何本かかけたりして熱心に調べてくれた。ひたすら待っているとおばさんが言った。

「I found!」


 それによるとアトーチャ駅から郊外のリガネスまで鉄道で行き、駅前からバスに乗り、しばらく行くと闘牛場がありそこで開催されると説明してくれた。最初のショックが大きかったので、興奮した。マリッサおばさんのお陰だった。

 試合は夜9時半だったが、当日券を購入することもあり、すぐにリガネスへ向かった。バスドライバーに、マリッサが書いてくれたメモを見せて、最寄のバス停で降ろしてもらった。マドリッド市内には全くなかったが、バスの中からもたくさん壁に試合のポスターが貼ってあるのを見て、子供のようにワクワクしたものだ。

 窓口へ行くとチケットが買えたので一安心だった。このラ・キュビエルタ闘牛場は、日本の福岡ドームのような造りで、屋根が開閉式だった。スキ間から中にリングが設置されているのが見え、更に数台、TVの中継車が止まっていたので試合があるのを実感した。

 夕方になると、WBCのワッペンを胸につけた関係者が現われ、お客も集まって来て、活気が出てきた。その頃、カスティジェホが一階級下のデラホーヤと対戦するとうわさされていたので、デラホーヤTシャツを着ていた自分は地元民にブーイングされたものだ。

 開場時間が近付いたからか、みんながゲートに並び始めたので自分も列に加わった。いざ開場してみると、自分のチケットは隣のゲートだったため結局最後部に並び直し、入場できた時には、自由席はかなり埋まっていた。昼から待っていたというのに。規制が甘いのか回りの観客が吸う葉巻の煙で、リングがかすんで見えた。

 でも客のノリと雰囲気はヨーロッパの中でも一番気に入った。チャンピオンが地元のヒーローだというのがよく分かった。そしてチャンピオンがKOで勝ったのだからみんなご機嫌だった事だろう。フランスの時と同じで、終ったのは夜中の12時半頃だった。案内所のマリッサは心配いらないと言っていたがバスと鉄道がまだ動いているのかと不安だった。

 会場を出ると通りの向こうにバスが走っているのが見えたので、バス停まで必死に走った。自分の前に並んでいたおじさんが「アトーチャ」と言っているのが聞きとれた。そのバスは「アローチャ」行きで違ったが、アトーチャ駅行のバスがあるならばこのおじさんと一緒にいれば帰れると勝手に決めていた。

 しかしその後は全くバスは来なかった。一時間近く待っても来る気配がなかった。タクシー代を聞くと、何と(日本円換算で)一万円位というから、迷うことなくNo thank you。

 その頃になると、少しずつ“野宿”という単語が頭に浮かび始めていた。

 すると、おじさんが仕草で向かいにあるコーヒーショップに行って電話をかけるというので、もしかしたら家族が迎えに来て、ついでについでに自分も送ってもらえるのではないかと期待したが、おじさんの表情を見ると、少なくとも違う結果だったらしかった。

 再びバス停に戻って待ったが、状況は変わらなかった。この頃には、バス停のベンチで寝る事も覚悟し始めていた。やがてタクシーを見つけたおじさんが乗ろうというので仕方なく従ってしまった。

 しばらく走って住宅街のあたりでタクシーが止まったはいいが、自分に払えと言うではないか。なんとか許容範囲の料金だったのでしかたなく払って降りた。もしかしたらこの近くにおじさんが住んでいて、泊めてくれるのではないか…と期待することにしてついて行ったが、向かったのは駐車場の一台の車だった。

 想像するに、どうやらこのおじさんは混雑を予想してここに車を置き、バスで会場に向かったのだ。言葉はほとんど分からなかったが、ホテルまで送ってくれるらしかった。

 市内に入り、アトーチャ駅が見えた時、やっと帰れるような気がしたものだ。ホテルの近くで火事があったらしく、消防車等が止まっていた。通行止めになっている通りもあったので、遠回りしながら、何とかホテルに着いた。こんな行きあたりバッタリでよく帰れたものだ。部屋に戻った時には午前3時半を過ぎていた。

 翌日は試合も無事観る事ができた安心感から、のんびりと過ごした。ソフィア王妃芸術センターに展示されているピカソの「ゲルニカ」スペイン最大のプラド美術館でゴヤ、エルグレコ、ベラスケス達の絵画も見に行った。その後独立広場にあるアルカラ門を通って、レティーロ公園に行った。ここは多くの家族連れや、大道芸人たちもいてにぎやかな公園だった。

 王宮に行った後、ラスベンタス闘牛場へ行った。見る前はただの見世物という思いで見ていたが、実際に見るとすごく残酷なものに感じた。なぜなら闘牛士は一刺しで牛をしとめるのでなく、徐々に弱らせ、最後に死に到らせるのである。

 死ぬと分かっている運命の牛を見るのは辛かった。この感情の違いも国民性なのだろうか。しかし写真でみると華やかな印象を受けたが実際はたくさんの牛のフンのにおいで周辺が臭いのには参った。


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