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■『あしたのボクシング』三好秀樹の怪遊記【12】■

1998年5月16日@パレ・オムニ・スポール(フランス・パリ)

WBA ライト級タイトルマッチ
オルズベック・ナザロフ vs ジャン・バティスト・メンディ

 初ヨーロッパだ。

 韓国から帰国後、ナザロフが、協栄ジムと離れてフランスのプロモーター契約し、その最初の防衛戦をパリで開催予定であることを知った。ソウルでの延期の経験から、ダメモトで協栄ジムに電話を入れると、「オリンピア」で開催されるとの返事だった。

 渡仏前に、フランス語の旅行会話集を買って準備したが、かなり不安だった。ソウル経由でパリのシャルル・ド・ゴール空港に着いた時、本当に来てしまったと実感した。パリ市内行きの鉄道に乗った時から不安の連続だった。

 その夜は北駅近くのホテルに泊まり、翌朝地下鉄でシャンゼリゼ通りの案内所へ行って、ボクシングのチケットを調べてもらった。その時の女性スタッフが「BOXE?」(フランス語のボクシング)と驚きに満ちていたものだ。確かにパリのイメージとボクシングは重ならないが、何が悪いんじゃ。

「オリンピア」では予定されていないとのことだったが、しつこく調べてもらった結果、会場がオリンピアではないことがわかった。T/Cでのチケット購入が出来ず、銀行へ行くが、パスポートを所持していなかったので、換金もできず、ホテルへ戻った。換金後、改めて案内所へ出向いてチケットを購入できたとき、一つの不安が解消された…。

 まず凱旋門へ行き、シャンゼリゼ通りをコンコルド広場までぶらぶらと歩いた。 この広場は、マリー・アントワネットが断頭された所である。ルーブル美術館を過ぎ、セーヌ川を渡り、ノートルダム寺院へ行くが21世紀へ向けての修復中だった。そこから近くにあるコンシェルジュリーに行った。ここは、断頭前にマリー・アントワネットが幽閉されていた当時を再現されており、驚いたのが監視員と彼女の間には屏風の様なつい立があるのみだったのだ。

 翌日足を延ばして、ヴェルサイユ宮殿を訪れた。宮殿の前にはルイ14世の設計による庭園が広がっていた。ガイドブックにルイ14世自らの推薦散策コースというのが載っていたので、その通りに歩いたが、途中でつぶやいた覚えがある「ルイさん、あんたの造った庭園は広すぎて疲れたよ…」。

 パリに戻ると、モンマルトルに建っている白亜の寺院、サクレ・クール聖堂へ足を運んだ。翌日、エッフェル塔から、ナポレオンの墓のあるアンヴァリッド、そして第二次世界大戦中レジスタンスが使っていたというカタコンブへ行った。今は無数の人骨が納められている場所である。

 翌早朝、こんどはマルセイユへ向かうため、TGVに初めて乗った。到着後、沖合いに浮かぶイフ島へフェリーで往復。その後、山頂の教会へ向かった。この教会も大戦中の市街戦の銃弾跡が生々しく残っていた。

 次に向かったニースの途中に停車した「CANNES」には乗降客がたくさんいて、にぎやかだった。帰国後知ったことだが、あそこが映画祭で有名な「カンヌ」だったとは…読めなかったよ。惜しいことをしてしまった。

 地中海を見渡せるニースの浜辺では、トップレスの女性がたくさん日光浴をしていた。だが、全然いやらしさは感じられなかったが、浜辺の端に、日本人らしき水着のカップルを見かけたほうに違和感を覚えた。

 南仏、最後に向かったのがモナコ公国。この時期のモンテカルロは、F1のモナコGPを控えて町中が準備に追われていた。地中海を望む丘の上に、女優から王妃となったグレース・ケリーが眠る教会が建っている。昔から彼女のファンだった自分がここへ来れるとは夢にも思わなかった。教会内の墓前には、彼女のとこだけいつも花束が供えられているとのことだった。

 翌日、ニース駅へ着くと、構内に貼り紙があった。その日は終日ストライキのようだったが、パリ行きの寝台列車の予約をしていたので焦った。問い合わせのために窓口へ行くと、前に並んでいたアメリカ人たちも同じ質問をしていた。

 困った状況に置かれると、知らぬ者同士でも連帯感が沸くことがあるものだ。その2人に聞くと寝台列車は動くらしいと言っていたが、当人たちもかなり不安そうだった。ストライキの影響で当初と違う編成車両が用意されたため、予約に関係なく、どの部屋に泊まってもよいとのこと。その結果、アメリカ人カップルに誘われて、一晩中一緒だった。車中、アメリカでのトランプ遊びを教えてもらったり、映画やヒッチコックの話で仲良くなってしまった。

 その2人、ローラとバートは、パリ到着後オルリー空港からロンドン経由でロサンゼルスへ帰国する予定だと言った。時間が少しあったので朝食をとって別れたが、突然寂しくなった。2人と駅で別れた後、パリ郊外のフォンテーヌブローへ行って、試合会場に向かった。セーヌ川のほとりに建つ立派なアリーナだった。


 開場を待っていると、日本人に話しかけられた。それがワールド・ボクシングのカメラマン中井さんと会った最初だった。今でこそラスベガスあたりでは日本からのボクシングファンを見かけるようになったが、さすがにパリでは見かけないだろうという驚きとともに、なかば呆れていたようだ。

 以前、日本のジムに所属していたこともあり、ナザロフを応援していたが、挑戦者の地元ということもあってかなり浮いていたようだ。

 終ってみると、ナザロフの完敗だった。夜中12時半近くに終り、不満を抱えたままホテルへ帰ると、玄関も閉まっており困り果てた。悪いと思いながらも、ベルを鳴らし続け、起きてもらい開けてもらった。

 パリ発のフライトが夜だったので、最後の1日はルーブル美術館で過ごした。最近『美の巨匠たち』で紹介された絵も見ているはずなのだが、情けないことに全く憶えていない…。記憶にあるのは「モナ・リサ」と「ミロのビーナス」だけである。

 今後もう一度訪れたい国の筆頭にフランスを挙げるが、いまだに実現していない。建国200年少々のアメリカと違って、フランスは街の到る所で歴史の奥深さを感じた。


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